ゴルゴ松本、運命変わった「タカさんのある一言」 突然、目の前に浮かんで見えた「命」誕生秘話

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当時、金もなく、夢が実現するかどうかもわからず、くすぶっている僕たちが住んでいたアパートが、その名も「みのり荘」。これは皮肉か。いや、いつか果実を生む、実を結ぶで縁起がいいのか……。このアパートは入居して2年半後に取り壊しになりましたが。

それから何年かたち、「お笑いをやろう」というレッドさんからの誘いに、もともとお笑い好きだった僕はすぐに乗りました。こうしてお笑いコンビ「TIM」が生まれたのです。それが1994年、僕27歳、レッドさん29歳のとき。芸人としては遅いスタートでした。

TIMは「タイム・イズ・マネー」の頭文字をとったもの。ほかの若い人たちより残りの時間は少ないのだから、その時間を大事にしよう、という意味も込めて。

売れない日々

お笑い芸人になっても、もちろんすぐには売れません。27歳と29歳の新人で、まわりを見渡せば自分たちより若い芸人ばかり。20歳くらいの人からみれば“おっさん”です。最初の頃は「その歳でこれからお笑いを?」とずいぶんバカにされました。でも、何を言われても僕は「関係ねえや」と。タモリさんもたけしさんも、売れたのは30歳を過ぎてから。

お笑いを始めた1994年、僕たちは定岡正二さんが司会を務める番組で、前説をやらせてもらいました。定岡正二さんといえば鹿児島実業高校のエースとして甲子園で活躍し、ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。退団後はタレントとして活躍していました。その定岡さんが、僕たちが高校野球をやっていたと知り、自分の草野球チームの試合に誘ってくださったのです。

試合当日の朝、グラウンドにふらり1人で現れたのがとんねるずのタカさん……石橋貴明さんでした。その頃、とんねるずは『〜みなさんのおかげです』『〜生でダラダラいかせて‼』『ねるとん紅鯨団』などなどテレビのレギュラー番組は多数、売れに売れていて、僕の憧れの人でもありました。当時、タカさんは34歳くらいだったでしょうか。

定岡さんの好意で一緒にお茶をさせていただいたとき、僕は興奮してしまい、ほとんどしゃべれずにいたのですが、タカさんはそんな僕らに気さくに話を振ってくれました。

「甲子園に行ったの? いいなあ。うちは俺の1つ上と1つ下の代は行けたけど、俺のときは行けなかったんだよね」

そして、最後にこう言ってくれたのです。

「この世界は一発逆転があるから頑張ってね」

「一発逆転」……最後まであきらめなければ挽回のチャンスはくる。僕がつねに思っていることです。高校時代、野球をしているときも自分に言い聞かせてきました。大好きなその言葉でタカさんに励まされてうれしかったし、「よし!」とあらためて気合が入ったのです。

そういうことはあったものの、TIMは1994年、1995年と、2年たってもネタ見せでウケず、ライブにも出られない。それまで役者をやっていてネタなんて書いたこともなかったし、お笑いに対し、まだ自分たちのやり方が見えていなかったのかもしれません。

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