ゴルゴ松本、運命変わった「タカさんのある一言」 突然、目の前に浮かんで見えた「命」誕生秘話

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僕とレッドさんが出会ったみのり荘が取り壊されたあと、僕たちは何度か引っ越すのですが、それも同じアパートの1階と2階だったり、50メートル離れただけのところだったり、いつもすぐそば。つまり、ずっと一緒なのです。レッドさんが今の奥さんと同棲するとなってからようやく離れましたが、それも一駅だけです。つねに身近にいたので、ネタ合わせやコントの練習は本当によくやっていました。

売れない役者時代から続く下積み時代。それでも、僕もレッドさんも落ち込みませんでした。2人とも野球で鍛えられた根性はある。試合には流れというものがあって、バッターの一振りで形勢がガラリと変わることも知っている。ただ、その一振りのためには集中力と負けない気持ちが欠かせないわけで。当時の僕の日記には「よし、やるしかない!」といった殴り書きがいくつもありました。そうやって自分を奮い立たせていたのです。

シャネルから苦情

テンポのいい一発ギャグとコントというお笑いのスタイルで、少しずつTIMの名前が知られるようになった1997年のお正月、実家のある埼玉の駅のホームで秩父の山並みを眺めていたときのこと。山の頂に文字が浮かんで見えました。それが「命」。

『「命」の相談室-僕が10年間少年院に通って考えたこと』(中公新書ラクレ)書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

それまで「シャネル」「ルイ・ヴィトン」など、人文字ギャグはすでにやっていたけれど、爆発力はありませんでした。シャネルについていえば、その頃、コギャル全盛で、渋谷のコギャルたちがシャネルのバッグほしさに今でいうパパ活をやっているという噂がありました。そこから、「俺がシャネルになってやる」とそのロゴを体でつくってみたのです。シャネルさんから苦情がきて、以後封印となりましたが。

ともかく、それも僕のお笑いの表現でした。次のギャグを考えてはやってみて、考えてはやって。やり続けることが明日につながると思っていました。野球でも、バッターボックスで何もしなければボールには当たらず、バットの一振りがなければヒットは生まれません。

高校時代、バットを一度も振ることなく三球三振に終わったことがありました。カーブ、カーブときて見逃し、次のカーブを待っていたら、今度はストレート。僕のバットは出なかった。試合を見にきていた父親に言われました、「振らなきゃ、当たんねえぞ」。

そのとおり。だから僕はお笑いでもギャグを出し続けました。けれど、なかなかヒットしない……。そんな状況のとき、突然、目の前に浮かんで見えた漢字一文字。「おっ、これだ!」。力いっぱい体で表現してみました。「命!」。

授かった、と思いました。インパクトのあるウケるギャグで人を笑わせたい。そして芸人として売れたい、ずっと思い続けていたそんな僕の念が通じたのかもしれない……。

ネタとして披露した「命!」は大ウケし、「炎」「祝」など人文字ギャグも増えました。

『ボキャブラ天国』で注目されて以降、テレビ番組のオファーは増え、1998年、ようやくお笑いで食べていけるようになりました。

命。この文字との出会いはまさに「運命」と言っていいでしょう。お笑い芸人として売れるきっかけとなり、その後もずっと僕を支え、さらには、『「命」の授業』へとつながる。

だから僕は今も「あっ、命!」とやるとき、ギャグであっても気持ちを込め、全力でやるのです。

ゴルゴ松本 お笑い芸人

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ごるごまつもと / Golgo Matsumoto

1967年埼玉県生まれ。ワタナベエンターテインメント所属。1994年、レッド吉田とお笑いコンビ「TIM」を結成。「命」「炎」などの漢字ギャグで人気を博す。バラエティー番組や子ども番組、得意の野球番組を中心に活躍する。2015年より全国の少年院で講演会のボランティア活動を行う。著書に『あっ! 命の授業』(廣済堂出版)、『ゴル語録』(文藝春秋)がある。

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