セレブが愛する「有名カメラマン」日本移住の経緯 世界の名だたるセレブ撮影してきたレジェンド

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スミスはさらに3年半アシスタントとして働き、この業界ではまだ黒人がめずらしい中、確固たる評判を築いていった。当時は黒人であるがゆえ、ヴィクトリアズ・シークレットのモデルがスミスを配達人と間違えることもあったが、特に嫌な思いをしたことはなかったという。

撮影の後にモデルに残ってもらい、自身でも撮影を行いその写真をポートフォリオとした。モデルたちはスミスの作品を非常に気に入り、業界でもスミスの評判は高まっていった。

評判は広告代理店にも伝わり、ある代理店がスミスを迎え入れてくれたことが彼にとって大きなチャンスとなった。これを機にリードカメラマンとしての仕事が一気に増えていった。

クライアントの幅が一気に広がる

1992年、彼はリードカメラマンとして初めて大きな仕事を得た。ファッション、美容、エンターテインメント、文化などをカバーする、黒人文化に絶大な影響力を持つ、月刊ライフスタイル誌『エッセンス』の撮影だ。これをきっかけに、同誌との仕事が増えていった。

初めて撮影した表紙の写真(写真:スミス氏提供)

1994年には初めてセレブのカバー撮影することになり、同じ年に3回の撮影を行った。最初の被写体は女優・モデルのハル・ベリー、続いて元ミス・アメリカ、歌手・女優のヴァネッサ・ウィリアムズ、そしてメディア界の大物であり、世界で最も裕福な黒人女性であるオプラ・ウィンフリーだ。

この一連の撮影により、業界の門戸が開かれ、著名なプロ写真家たちとの関係が築かれた。やがて広告主からも声がかかるようになったほか、セレブが映画会社やテレビ局にスミスを紹介するようになり、クライアントはどんどん多様になっていった。スミスは仕事をうまく、早く、効率的にこなすという評判を育んだのである。

2000年代に入ると、出版業に進出し、写真集を数冊世に送り出した。初の写真集『Sepia Dreams』は、50人の黒人有名人を撮影した写真と、彼らの考えやエピソードを語ったインタビューを収録しており、サミュエル・L・ジャクソンや、イマン、レジー・ミラー、ジャッキー・ジョイナー・カーシーとミッシー・エリオットなどなどが掲載されている。

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