樫野孝人・神戸リメイクプロジェクト代表(Part1)--地上戦、空中戦、IT戦、政党行政。選挙はこの4つを使う究極のマーケティング

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樫野孝人・神戸リメイクプロジェクト代表(Part1)--地上戦、空中戦、IT戦、政党行政。選挙はこの4つを使う究極のマーケティング

■ CEOへの道は、職業としての“社長”を選び、第一線で活躍するプロによるトークセッション。将来、経営層を目指すオーディエンスに、自らの経験とノウハウを語る。

--2009年、樫野さんはアイ・エム・ジェイ(IMJ)の社長を退任し、神戸市長選に出馬され話題となりました。なぜ経営者の立場を捨て、政治の道を選ばれたのでしょうか。

子どもの頃から政治家になると決めていて、明確に意識したのは高校2年生の時です。神戸市が「株式会社神戸市」と呼ばれ、1981年に開催された博覧会「ポートピア’81」もあって全国から注目を集めていた頃でした。当時の神戸市長が高校の大先輩で、いずれは自分もと思ったんです(笑)。

ビジネスが面白く、会社の事情もあって出馬は46歳になりましたが、就職する頃には40歳になったら政治の道へ行こうと具体的に考えていましたね。

--市長選では15万6178票を獲得。現職との差は7852票と戦後で最も僅差だったそうですね。敗因は何だったとお考えですか。

マージャンでいうと13面待ちのような状況だったのに、上がれなかったんです(笑)。

敗因はいっぱいありました。たとえば、ある団体から政策協定を結べば9000票の票が入ると言われた時のこと。僕はどこともしがらみを持たずに選挙を戦うと決めていたのでお断りしたら、その団体は別の候補の応援に回りました。民主党に推薦依頼をしてフラれたあとに、自民党から推薦したいと言われたときも同様です。ぶれてはいけないと思ってお断りしたら、自民党の応援モードが止まりました。

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