日本人が「バカげた迷信」を頭から信じてしまう謎 「煙をありがたがる」のは信仰との深い関係からか

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ともかく、見も知らぬ学生が「お宅では貸してくださるような部屋はありませんか」と突然訪ねてくるという。「私んとこでは下宿人を置いたり貸室の広告など出してませんが、どうして?」ときくと「いや火葬場の煙が風向きによっては、お宅の方にも流れてくるようですから。私の家も東京なのですが……」というような具合らしい。死んだ人を焼く煙を浴びると、死線を越える力が身につくのだという解釈なのだそうだ。

祖先たちも神聖な煙の効果を期待してきた

葬式のときの、さまざまな、やかましいしきたりを考え合わせると、ふつうならば、何とかして死の穢れに触れまいとしていた昔風な暮し方からは、想像もできないような種類の迷信ともいえよう。いうなれば積極的に死の穢れを身につけることによって、自分の体を一度、死者と同列に置いたあげくに、その死を超越し、克服する。そうして別な新しい自分に生まれ変わる。そうして強烈な力を身につけて試験を突破しようという覚悟だとでも解釈すれば、そんな悲愴な決心には心うたれるようなものである。

昔からやってきた年中行事や祭のなかでも、火を燃やす行事や神事が少なくない。そういうのを眺めると、そこにも神聖な煙の効果を期待してきた祖先たちの生活の歴史の一端をうかがうことができる。たとえば、小正月とよばれる1月15日に行われる左義長・トンド行事などの火または煙がある。この火であぶり、煙にいぶされた餅や団子を食うと、その年中は馬鹿にならないとか、風邪をひかないとか、病気にならないなどというのは、ほとんど全国的な習俗である。

『日本迷信集』(河出文庫)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら

こうして例をあげてみると、煙だけの効果というよりは、神仏に関係ある神聖な呪力の効果を昔から信じていたので、煙というのは、あるいは、その効果の延長なのかもしれない。線香が非常に貴重な品物だった時代も長く続き、火に対する強い信仰が何千年も続いた事実なども合わせ考えないと、こうした民間信仰の正しい説明はむつかしい。ともかく迷信くさいとよばれるものには、信仰と関係の深いものが多いのである。

こんな話をして、読者を煙にまくつもりなどは初めっからないのだが、ともかく、すっかり生活様式の近代化された大都会の読者たちには、もうほとんど理解しにくくなった昔風のさまざまな暮し方が、少なからずナンセンスな、馬鹿げた迷信らしく感じられてくることは、他の多くの例話で、だんだんにわかってくることと思う。

今野 圓輔 民俗学者

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こんの えんすけ / Ensuke Konno

本名、今野圓助。1914年生まれ。福島県出身の民俗学者。慶應大学在学中に折口信夫に師事し、卒業後は毎日新聞に勤務する傍ら柳田國男のもとで活動し、民俗学研究所の立ち上げにも尽力した。『馬娘婚姻譚』『怪談 民俗学の立場から』『現代の迷信』など著書多数。怪談、迷信、幽霊、妖怪といった民俗学でいえば俗信の分野に強い関心を持っていた。1982年逝去。

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