ビートルズ「最後のライブ」はなぜ屋上だったのか 『ジョン・レノン 最後の3日間』Chapter37

拡大
縮小

ジョンは、これを聞いても落ち着いていた。

「月曜か火曜になってもジョージが戻らなかったら、エリック・クラプトンにギターを弾いてもらえばいいさ」とジョンは言い放った。

それは、それほど突飛な案というわけでもなかった。9月の初め、『ホワイト・アルバム』の収録中に、ジョージはクラプトンを招いて「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス(While My Guitar Gently Weeps)」を録音していたのだ。

「考えなきゃいけないのは、もしジョージが辞めたとして、それでもビートルズを続けたいのかってことだ。僕は、続けたい。だれかほかのメンバーを入れて、前に進むだけだ」と、ジョンは皆に告げた。

「屋上でやったら素晴らしいんじゃないだろうか」

ジョージは1969年1月10日にビートルズを脱退し、1月15日に戻ってきた。だが復帰後も、ツアーを再開するという案にジョージは断固として反対した。

1月29日になっても、コンサートシーンの撮影場所は決まらないままだった。

そしてついに、あるアイディアが降ってきた。ジョンはリンゴに意味ありげな顔をしてみせ、こう言った。

「屋上(ルーフトップ)でやったら素晴らしいんじゃないだろうか。ウェスト・エンド中に向けて演奏するんだ」

ジョンはリンゼイ=ホッグに向かっていたずらっぽく微笑んだ。ロンドン市民を驚かせたゲリラ・ライブ計画は、こうして始まった。

翌1月30日の午後1時、アップルの幹部たちは、サヴィル・ロー3番地の本社ビルの屋上に集まるようにという緊急通知を受け取った。現地ではすでに、仮設ステージを組み立てる大道具スタッフや、ケーブルの束を抱えたエンジニアたちがあたりを走り回っていた。

ジョンたちは頭を寄せ合って、曲目をもう一度確認した。4人揃って人前で演奏するのは、じつに4年ぶりだ。ジョンは、緊張でおかしくなりそうだった。

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT