USJが低迷→驚異的復活を遂げた最も重要な本質 最も困難なのは計画の策定や商圏の分析ではない
USJは、その財務体質の改善には目処をつけたものの、肝心の入場者数は依然として低下傾向にありました。集客力はふるわず、売上高も700億円前後を横ばいに推移していたのです。
そこでゴールドマン・サックスは、「供給の論理」に染まったUSJを立て直すために、P&Gでマーケティングを担当していた森岡毅氏を迎え入れます。
森岡毅氏はUSJの再建をマーケティング面で実現した立役者で、2017年1月に執行役員を退任するまで、集客力回復に貢献しました。
マーケティングに精通した人物を外部から迎え入れることによって、USJの弱点であった「供給の論理」からの脱却を狙ったのです。
森岡氏が最初に注力したのが「ファミリー層を取り戻すこと」です。そしてその再建の第一歩は、2011年の春休みに企画された「開業10周年イベント」でした。当時のUSJの広報資料(2010年9月9日)を読み返すと、「パーク史上最大、最高のハッピー・サプライズ!」と記されており、鳴り物入りのイベントであったことがうかがえます。
ところが、森岡氏を招いての再建も、計画通りには進みませんでした。
2011年3月11日に東日本大震災が発生し、東北を中心に大きな被害となったほか、日本経済全体が大打撃を受けたからです。USJは被災地から遠い大阪にありましたが、非常事態において、テーマパークという娯楽を楽しむ行為は、何となく気が引けるというのが人間の情理でした。
また、震災直後には大阪随一の繁華街である道頓堀のネオンも消えて、大阪の街そのものも暗くなりました。
こうしてUSJは、もともとの経営難に加え、東日本大震災という自然災害からの自粛ムードという、二重の危機を抱える形になってしまいました。とてもではありませんが、「ハッピー・サプライズ!」どころではなくなり、さらにどん底に突き落とされてしまったのです。
「お金をかけずに何ができるか?」を徹底追求
危機に直面したUSJでしたが、森岡氏はすぐに積極的な集客プランを作成し、実行します。まず、「関西から日本を元気に」というスローガンを打ち立て、関西圏の子どもの入場料金を無料とする「キッズ・フリープログラム」をスタートさせました。
この大胆な打ち手には、当時のUSJの社内からも反対意見があったといいますが、森岡氏は離れていく顧客を呼び戻すために、あえて子どもたちを無料で招待することを決断します。そして、2011年5月14日~6月30日までの約1カ月半の間、関西圏に住む大人1人につき子ども1人は入場料0円という破格のプライシングを実施しました。
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