USJが低迷→驚異的復活を遂げた最も重要な本質 最も困難なのは計画の策定や商圏の分析ではない

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日本におけるテーマパーク産業の歴史は、振り返ると「供給の論理」に偏っていたことがわかります。

本格的なテーマパークの始まりは、1983年にオリエンタルランドが開業した「東京ディズニーランド」でした。それまでの娯楽施設は「動物園」「遊園地」といった形で、特定のテーマを定めないことが一般的で、また屋外の娯楽施設は私鉄会社によって運営されることが多くありました。代表的なものには、西武鉄道の「としまえん」(2020年閉鎖)、東急電鉄の「二子玉川園」(1985年閉鎖)などがあります。

そのような中で東京ディズニーランドは、キャラクターを中心に据えたテーマパークとして注目を浴びる存在になります。東京ディズニーランドは開業時から大成功を収め、日本各地の「テーマパーク計画」のブームの火付け役となりました。

では、雨後の筍のごとく出現した「テーマパーク計画」は、誰に向けてつくられたものだったのでしょうか? その答えは人口減少や基幹産業の凋落といった深刻な問題を抱えた地方自治体の人々です。

1980年代は、地方の人口が減少をし始めるという過渡期にありました。そこで地方の人々は、自分の街をもり立てる新しい産業をつくることを志し、その1つとしてテーマパークに注目したのです。

日本の各地に巨大テーマパークが林立したワケ

1980年代後半には政府によって「リゾート法」が制定されるなど、地方活性化を後押しする開発ブームが起こりました。この背景には、1985年に先進国の間で締結されたプラザ合意があります。これによって円高ドル安が進行、日本の製造業が価格競争力を失い、地方工場の閉鎖が相次ぎました。このため地元経済を維持するために、新しい産業を誘致することがブームとなったのです。

こうして1990年以降に日本の各地に出現したのが、巨大なテーマパークです。1992年には長崎県佐世保市にオランダをテーマとした「ハウステンボス」が、1994年には三重県の志摩半島にスペインをテーマとした「志摩スペイン村」が開業しました。

そして、2001年、大阪・桜島にハリウッド映画をテーマにした「USJ」が開業したのです。

前述のような状況から、東京ディズニーランド以降に出現したこれらのテーマパークはすべて、「地元」が音頭を取っての開業でした。ハウステンボスのある佐世保は造船業の街でしたが、造船業はかつての活況を失っていました。志摩スペイン村のある志摩半島は真珠養殖が盛んな土地でしたが、真珠の需要減少によって苦境に立たされていました。

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