USJが低迷→驚異的復活を遂げた最も重要な本質 最も困難なのは計画の策定や商圏の分析ではない

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同様に、USJが開業した大阪の桜島も造船・鉄工の街で、USJの敷地には、もともと日立造船という造船会社の工場がありました。しかしこの工場は、造船業の衰退により1980年代に閉鎖されました。

このように、地元の基幹産業の凋落の穴埋めともいうべく新しい産業をつくるためのテーマパーク誘致が相次いでいたのです。

このため、「東京ディズニーランド」の成功に触発された全国各地のテーマパークの開業は、「供給の論理」に基づいていました。「顧客をいかに楽しませるのか」ではなく、「テーマパークをつくることによって経済効果がいくらあるのか」に力点が置かれてしまったのです。

当然のことながら、「需要の論理」を無視したテーマパークは長続きしませんでした。ハウステンボスは2003年に会社更生法の適用を申請します。志摩スペイン村は開業初年度に427万人の入場者数を達成しますが、以降は長期的な右肩下がりを続けており、2019年には約120万人という水準に低迷しています。USJも開業初年度には1102万人の入場者数を記録しますが、その後は徐々に入場者数を低下させていきました。

このように「供給の論理」に根ざしたテーマパークはことごとく失敗に終わり、東京ディズニーランドの一人勝ちが鮮明になったのが、2000年代のテーマパーク業界の趨勢でした。

開業時の巨額の借金を整理し、「普通の会社」へ

経営危機に陥ったUSJの再建を担ったのが、ゴールドマン・サックスでした。2005年にゴールドマン・サックスはUSJの経営再建に着手し、その復活を目論みます。

まず、ゴールドマン・サックスが急いだのは、財務体質の改善による止血でした。USJは開業初年度の時点で約1200億円という有利子負債を抱えており、開業時の借金の負担が重くのしかかっていました。このため2005年当時のUSJは、借金の返済に現金が流出しており、集客のための投資ができる状況ではありませんでした。

そこでゴールドマン・サックスは、USJの有利子負債の比率を下げます。2005年3月期の自己資本比率はわずか5.5%に過ぎませんでしたが、2009年3月期には同40.3%へと大きく改善しました(ユー・エス・ジェイ「有価証券報告書」(2009年6月26日)。

こうして数年をかけて有利子負債を減らすことで、USJを借金比率が正常な「普通の会社」へと転換し、ようやく「テーマパークとしてどう競争するか」という地点に立ち戻ることができたのです。

次ページ「マーケター視点の再建計画」を襲った未曾有の事態
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