真珠湾攻撃から80年「元日本兵」が語る戦争の内実

あの時代の「狂喜」と「悲嘆」はなんだったのか

爆発炎上する戦艦アリゾナの炎に浮かび上がる戦艦群。1941年12月7日撮影(写真:近現代PL/アフロ)
80年前(1941年)の12月8日は、旧日本軍がハワイ・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、太平洋戦争が開戦した日だ。それから80年。元日本兵たちは開戦をどう捉えていたのか。著書に『帰還せず 残留日本兵戦後六〇年目の証言』がある、作家・ジャーナリストの青沼陽一郎氏が解説する。

喜ばしいこととして記憶されていた開戦

あの日、父親は新聞を見て「ばんざーい!」と叫んだ――。

80年前の12月8日は日米が開戦した日だ。それまで日米交渉の役人の話ばかりをしていた父親は、真珠湾攻撃を伝える新聞に目を通して歓喜したという。

その話を私が聞いたのは、今から16年前の戦後60年の節目にあたる夏のことだった。当時はまだ、東南アジアの各地に終戦後も自らの意思で復員を拒み、現地で暮らす元日本兵たちがいた。私はその理由が知りたくて、それぞれの元日本兵を訪ねてまわった。そのときのひとりが「あのときを思い出す」と話したことだ。

佐賀県の出身で開戦後に志願して入隊すると、航空隊の整備兵としてインドネシアに送られ、そこで終戦を迎えると2日後にスカルノが行ったインドネシア独立宣言の警備でその現場に立ち会っていた。そのままインドネシアの独立戦争に義勇兵として加わり、独立後はジャカルタで家族と暮らしていた。開戦の思い出は、決して悲観的なものではなく、むしろ喜ばしいこととして記憶に残っていた。

少なくとも、私が聞いたその当時の状況からすれば、日本国内の庶民は日米開戦を望んでいたとさえ言えた。まして、この戦争が悲惨な末路をたどるとは想像すらしていなかった。

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