真珠湾攻撃から80年「元日本兵」が語る戦争の内実 あの時代の「狂喜」と「悲嘆」はなんだったのか

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シンガポールが陥落してからは、しばらく現地ですることもなく、命令が出るまで、ぼうっとして過ごしていた。それからビルマ(現ミャンマー)の戦線に移動して、インパール作戦に従軍することになった。史上最悪の作戦とも言われるこの作戦の顛末については史実に残るとおりだ。

後方支援のはずが自動車の通る道すらなく、象や牛に支援物資を背負わせてぬかるんだジャングルの道を行く。追加支援はない。戦線を維持できなくなった撤退の道すがらは「白骨街道」とも呼ばれた。敵さんとの戦いで死ぬよりも、飢餓とそれにマラリアやコレラで死ぬ兵士ばかりになった。

「追及して来ーい!」

それが後退する日本兵たちが口々に叫ぶ言葉だった。

絶命している日本兵が多数

野戦病院と呼ばれている場所にたどり着けば、そこは死体のやまだった。そこまでの道の途中には、蚊屋を吊ったまま、中のハンモックに横たわって死んでいる兵隊もいた。

やがて自動車部隊が自らの自動車を放置した山麓の地点にたどり着くと、車の中に乗り込んだまま、そこで絶命している日本兵の姿もあった。自動車の屋根は、木の枝と葉で補修してあった。

「追及して来ーい!」

その言葉がむなしく響いた。彼はそのままビルマで終戦を迎え、復員することなく隣国のタイで生涯を閉じている。戦争のはじまりから終わりまでを知る人物だった。

80年前の12月8日。日本国民の多くは日米開戦を賞讃した。しかし、それから4年後にはそれが大きな間違いであったことを知る。約310万人の日本国民が犠牲になった。そのうち約240万人は日本の本土の外で絶命したとされ、その半分は骨すら拾われずにいる。そして国体が大きく変容し、価値観がまったく塗り替えられた。

あの時代の狂喜と悲嘆はなんだったのか。今いちど考え直す必要がありそうだ。

青沼 陽一郎 作家・ジャーナリスト

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あおぬま よういちろう / Yoichiro Aonuma

1968年長野県生まれ。早稲田大学卒業。テレビ報道、番組制作の現場にかかわったのち、独立。犯罪事件、社会事象などをテーマにルポルタージュ作品を発表。著書に、『オウム裁判傍笑記』『池袋通り魔との往復書簡』『中国食品工場の秘密』『帰還せず――残留日本兵六〇年目の証言』(いずれも小学館文庫)、『食料植民地ニッポン』(小学館)、『フクシマ カタストロフ――原発汚染と除染の真実』(文藝春秋)などがある。

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