ビートルズ、2人が夜の街で出会った運命の瞬間 「ジョン・レノン 最後の3日間」Chapter1
ときは1957年7月6日、土曜日。屋外に設けられたステージにクオリーメンが立つころには、気温はすでにかなり高くなっていた。
ジョンは「ショーティー」と呼ばれる膝丈のコートに、赤と白のチェックのシャツ、黒いスリム・ジーンズといういでたちで、デル・バイキングスのドゥーワップ・ソング「カム・ゴー・ウィズ・ミー(Come Go with Me)」を歌い始めた。
どの女の子に最初に声をかけよう?
ポールはこのアメリカのポップソングを聞いたことはあったが、ラジオ・ルクセンブルクのデッカ・レコードの番組で耳にして、レコード店の試聴ブースで聞いてみた程度だった。
ポールは演奏を聞くともなしに聞きながら、集まった人々に目をやった。
どの女の子に最初に声をかけよう?
そんなことを考えているとき、ジョンが歌詞を勝手に変えて歌っていることに気づいた。
しかも、ギターは一切つかえることなく弾き続けている。その演奏スタイルがなんと呼ばれるものなのか、ギターに詳しいポールにも、見当がつかなかった。
ジョンはそのまま、雪崩れ込むようにジーン・ヴィンセントのロカビリー・ソング、「ビー・バップ・ア・ルーラ(Be-Bop-A-Lula)」を演奏し始めた。
彼はステージを支配して、完全に自分のものにしていた。
とはいえそれは、驚くようなことではなかった。ジョン・レノンといえば、だれもが知る自信満々で怖いもの知らずの地元の「テッド」あるいは「テディ・ボーイ」だからだ。
リバプールでは、もみあげを長く伸ばし、髪をポマードでアヒルの尻のような形にうしろ向きに撫でつけ、日夜喧嘩に明け暮れるタフで反抗的な労働階級のワルたちのことをそう呼んでいた。