ろくでもない政治家を見抜く為に欠かせない視点 大胆に妥協できるか、全てに意見を通そうとするか
日本の政治で特徴的なのは、与党においても野党においても派閥が機能しなくなってしまったということだ。政治家がバラバラのアトム(原子)のようになってしまっている。
全ての人が得をするような政策を打ち出す政治家は危険
本来、政党は部分の代表だ。英語で政党をポリティカル・パーティーというが、パートとは部分のことである。社会にはさまざまな利害対立がある。
年金問題に関しても、高齢者は拠出が多くても手厚くしてほしいと思う。若年層は、年金受給がずっと未来なので、拠出金を極力少なくしたいと思う。
地域間の違いもある。北海道では冬の雪かきは重要な社会問題だ。雪のめったに降らない沖縄では、そのような問題はない。ジェンダー間でも、乳がんの検診は女性にとっては重要だが、男性にはあまり関係ない。
政党は社会の部分を代表して、議会での議論を通じて、予算配分や法律の内容について、折り合いをつける重要な機能を果たしている。そして、派閥は政党内の政党なのである。
しかし今の日本においては、政党や派閥は、部分の代表とはいえなくなっている。
かつて自民党は経営者(資本家)の代表であり、そして社会党は労働者の代表だった。ところが1989年に東西冷戦が終結し、世界中で自由主義や民主主義が台頭すると、日本国内でも政党ごとの明確な違いがなくなっていった。
今や自民党にしても、立憲民主党にしても、そして共産党に至るまで、ほとんどすべての政党が「国民全体の代表」としての政策を打ち出しているのだ。
アトム化した政治家は全体の代表を装う。しかし、社会に利害対立がある以上、全体の代表はあり得ない。全体の代表は、政治家自身の個別利益を追求しているということと同じ意味になるのである。
現下政治の最大の問題は、すべての政党が「全体の代表シンドローム」に陥っていることだ。健全な民主政治を回復するためにも派閥の意味に関するキケロの考察は有益だ。
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