意外と知らない中国式の「国家資本主義」その本質 「資本主義と民主主義はセット」の常識を超える

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大澤:私が今、一番気になっているのは、中国の資本主義がどういうものであるか。これは今の習近平体制の行く末を予想するためにも重要なことだと思う。

私たちの長い間の常識として、経済における資本主義と、政治における民主主義とは連動しているもので、車の両輪に近いというイメージがありました。資本主義が発展するためには、政治的には民主主義でなければ駄目だろうという常識ですね。

現に20世紀の末期に冷戦が終わったとき、明らかに西側体制よりも社会主義体制は貧困でした。中国に関しても、共産党一党独裁のシステムの中で、資本主義がうまくいくはずがない、短期的にうまくいっても、いずれ崩壊するに違いないと思っていた節がある。

ところが、今や、標準的とされている資本主義よりも中国のほうが好調なんですね。もしかすると、民主主義でない資本主義のほうがうまくいくのではないかという心配すらある。

まずは、この中国的な権威主義的資本主義と、西側発祥のリベラルな資本主義をどう見るか。前者は成功するのか。それとも、結局は後者のタイプだけが残るのか。

橋爪:人びとの常識は、政治的な民主主義と、経済的な資本主義は車の両輪で、これがかみ合って近代化が進む。これ以外のやり方はない、でした。すると、中国が理解できないわけです。

中国の社会主義市場経済は、明らかに資本主義的なのに、専制主義的で独裁的で非民主的である。こういうものは壊れてしまうはずなのに、壊れるどころか、むしろ西側よりうまくいっている。単なる開発独裁のようなものと片づけるには、あまりに巨大になってしまった。中国をまともに考える道具箱が不足していて、お手上げ状態であわてている状況なのです。

大澤:はい、私たちの常識が揺らぎ始めているのではないかと。

専制的な権力が資本主義の揺りかごだった

橋爪:その答えを見つけるには、大澤さんの言う通り、文明的な背景から検証してみることが筋道だと思う。西側で見ると、自由主義+民主主義+資本主義がセットで走り出したのは、200年あまり前のフランス革命あたりからです。しかし、フランス革命より前に、資本主義はそこそこあった。

典型的なのは、絶対王政。政治権力を確立し、民衆の声など聞く耳持たずだが、彼らは第三身分(聖職、貴族以外の平民)が資本主義的な活動をするだけの条件を提供していた。こうした専制的な権力が揺りかごになって資本主義が育てられていた前段階があったことを忘れてはいけない。

なぜ専制的な権力が資本主義の揺りかごになったのか。絶対王政は、日本の戦国大名とよく似ていて、自分の領域にある寺社勢力や在地の領主を一掃して、立法権、統治権、軍事指揮権を抵抗の余地なく通用させた。国境をつくって有無を言わせず関税を徴収した。この専制的な資源の動員と法整備が、資本主義の揺りかごになったわけです。

中国の伝統王朝も絶対王政と似ていて、領域統治権を持ち、資源の動員もしています。あまり関税は取っていないが、塩や鉄の物品税とか、金持ちの商人などから適当な名目で恣意的に税を取るとかした。いかに理不尽でも、商人たちには、抵抗する方法がない。そして中華帝国は、世界で最も繁栄していた。

そのように中国には、フランス革命はなくても、専制的な権力と経済的な繁栄が2000年も結びついてきたという、歴史的な経験値があるんです。だから、中国から見ると、政治的な民主主義と経済的な繁栄がカップルになる必然性がない。

一時、中華民国がそれをやろうとしたけれど、腐敗と混乱があっただけだった。習近平はそれを、昔の体制に戻そうとしている。中国からすると、西側に対するオルタナティブ・チョイス(代替案)を提案しているつもりなんか全然ないんですよ。単に昔からのやり方をやっているだけ。

大澤:なるほど。中国のやり方は新しくも何ともないと。

橋爪:それを新しいと考えてしまうと、世界哲学、世界知性からすると理解不能な問題になりますね。

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