イスラエル、ガザ「戦略爆撃」の愚劣 罪なき民間人を爆殺しても勝利は来ない

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日本は、それよりもさらにひどい仕打ちを経験している。広島と長崎への原爆投下よりも前に、米国陸軍航空隊はカーチス・ルメイ陸軍准将(当時)の指揮の下、日本の主要都市をすべて焼き払うことに成功したのだ。

戦略的爆撃とは「総力戦」の概念の拡大解釈である。民間人もすべて戦闘員と見なされ、正当な攻撃対象となる。

だが残念なことに、戦略的爆撃はこれまでの結果がどうにも芳しくない。ロンドンやベルリン、東京、ハノイの場合、市民の士気をくじくどころか、逆に鼓舞する結果に終わっている。

ゆえに、連合軍による侵攻の前になすすべがなくなる1945年までドイツ人たちは戦い続けた。日本が降伏したのも、ソ連による侵略を恐れたためだ。北ベトナムは最後まで降伏しなかった。パレスチナ人も、その支配者がハマスであろうとなかろうと、イスラエルへの抵抗をやめないだろう。大規模破壊によりこれ以上失うものがないガザ地区ではなおさらだ。

なぜ多くの国々が、この残酷かつ効果のない戦略に固執するのか。純粋に流血を求める欲求、憎き敵に苦痛を与える喜びに引きずられているのではないか。

爆撃による勝利は一過性のもの

だが、さすがにそれだけが主な理由にはなりえない。より妥当な解釈は、戦略的爆撃で自国民の士気が高まることだ。空爆のもう1つの利点は、敵を攻撃するうえで多くの仲間を失わずに済むことだ。地上戦が行われていたなら、より多くの兵士が死んでいただろう。

爆撃は「安上がりに」自国の治安を維持する手段だった。高いところから十分な数の人間を殺すことで反乱を鎮めることができた。バラク・オバマ大統領がアフガニスタンやパキスタン、イエメンで無人機を使用するのも同じ理屈だ。

が、そうして得た勝利は一過性にすぎない。民間人が1人殺されるたびに反乱分子が生まれ、再び立ち上がるからだ。もしそれをわかっていなければ、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は愚か者だ。逆にわかっているならば、恒久的な平和をあきらめた、ただのひねくれ者だ。

週刊東洋経済2014年8月30日号

イアン・ブルマ 米バード大学教授、ジャーナリスト

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Ian Buruma

1951年オランダ生まれ。1970~1975年にライデン大学で中国文学を、1975~1977年に日本大学芸術学部で日本映画を学ぶ。2003年より米バード大学教授。著書は『反西洋思想』(新潮新書)、『近代日本の誕生』(クロノス選書)など多数。

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