GLAY・TERUがコロナ禍に直面した「逆風と希望」 理想のアーティストに「小田和正」を挙げた理由
「音楽業界の流れで、インターネットの普及は切って離せない状況になってきて、音楽の届け方もCDから配信になると予想しました。そうなると自分たちですべて補える時代が来るんじゃないかと。そういう仕組みをつくっていかなければ、今後音楽で生計を立てていく若いミュージシャンたちは大変になるだろうな、という状況が想像できました。音楽を制作して、ライブして、といったことを自分たちで確立するスタイルです」
現在の多様なエンターテインメントのあり方を考えると先見の明があった。まだ独立が珍しかった2005年において、参考にしたモデルケースはあったのだろうか。
「TAKUROがいちばん参考にしていたのはビートルズでした。独立して最初に権利問題などはビートルズで勉強していて。やっぱり自分たちが制作した音楽を自分たちが管理すべきだ、と。TAKUROはすごく勉強家で、その知識が今のGLAYに脈々と培っています」
独立した当時は、メンバーとスタッフ1人だけの出発だった。この頃の日々を回想しながら、GLAYとして得た、いちばんの財産を次のように語る。
「やっぱりファンに対して、ちゃんと温かい出来立てのお弁当を出すような(笑)。手渡しで渡すような距離感を感じられたことですね。CD制作に関してレコード会社と共同制作していく中で、マネジメントに関しては自分たちで責任を持つ。お互いをリスペクトし、ストレスなく動けることで、作品作りに集中できていますね」
浮き沈みの多い音楽業界で10年後の想像するのも、10年以上バンド活動を続けるのも難しい世界だ。GLAYは、25年以上、1人もメンバーが欠けることなく日本の音楽業界の第一線で活動している。生き生きと活躍し、キャリアを持続するための秘訣をTERUは、どう考えているのか。
「お互いの信頼関係、本領発揮できる場所がある。そういう充実した場所があるのは大事ですけど。僕ら4人は、普段から日常会話の中でいろんな話をしているんです。ストレスを溜めずに、言ったらお互い喧嘩になるかなということでも、本当に大事なことだったらちゃんと言う。あとは、上下関係をつくらない。スタイル的に海外のような、才能を持っている人が生き生きと仕事ができる場所を目指す。もちろん失敗したこともたくさんありますけど、しっかりみんなで分析していく。お互いを認め合っている姿勢が長く続けられた要因のひとつかなと思いますね」
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