「抵抗の新聞人 桐生悠々」に見た今に通じる教訓 ファッショの暴風の中でも書くべきことを書いた
井出さんも私と同じ信州出身の作家であり、実は同じ高校に通った大先輩でもあった。残念ながら昨年10月に89歳で他界し、生前お目にかかる機会を得なかったのは痛恨事だが、今回の復刊にあたって岩波書店の編集者が遺族から取材メモや資料類の提供を受けたのである。
それを見て知ったのだが、井出さんはいわゆる風流夢譚事件を大きな動機として悠々の評伝を書こうと思い定めたようだった。若き日に中央公論社の編集者だった井出さんは、1961年に同社社長宅が右翼テロに襲われた事件に直面し、無惨に右往左往する名門出版社の姿に失望したらしい。資料に含まれていた〈桐生悠々への接近のmotif〉と記されたノートには、風流夢譚事件の詳細な経緯や言論の自由を守りきれなかった教訓に続き、〈桐生悠々に学べ〉と端正な字で書き遺されていた。
井出さんが見た言論人としてのあるべき姿
つまり井出さんは、自らが勤める出版社がテロに襲われ、それに膝を屈したかのような戦後言論人の姿に苛立ち、ファッショの暴風が荒れ狂うなかでも書くべきことを書いた悠々に言論人としてのあるべき姿をみた。だから物書きとして独立し、75年に『アトラス伝説』で直木賞を受けて作家としての地歩を築き、満を持して80年に刊行された桐生悠々の評伝執筆に取り組んだのではないか。
あらためて記すまでもなく、いまも愚かで乱暴な為政者の下、メディアやジャーナリズムは頼りなく漂流している。戦前戦中に言論人の節を貫いた新聞人と、その実像を誠実な作家が紡いだ評伝は、いまに通じる教訓が数々ちりばめられている。だから9月に復刊される岩波現代文庫版が一人でも多くの方に読まれることを願う。
余談だが、悠々に触れた本コラムの切り抜きも井出さんの資料には大切に保管されていた。少々驚いたが、この世界に誘ってくれた先輩作家と確かに繋がっていたのだと感じ、これも望外にうれしいことだった。
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