コロナ対策で失策した日本「その戦犯」の正体 政府の対応はなぜのろく、生ぬるいのか
政府のやることはどうしてこんなにのろく生ぬるいのか
新型コロナ禍での東京パラリンピックが始まった。外国の選手や役員に感染が続発したら病床を確保できるのか? そのときの通訳はどうする? ボランティアに生命の危険を冒させるのか──。
思考がマヒ、あるいはIPC(国際パラリンピック委員会)にろくにものを言えないから、危ないとわかっていてもそのまま突っ込む神風パラリンピック。「政府が悪い」と言いたくなるのだが、それもまた別の形の思考マヒだ。
民主主義の歴史が浅い日本では政府と言えば「お上」か「敵」かの両極端で、自分たちがつくったもの・使うものという意識が足りない。コロナ対策についても、政府のどこがどう悪いのかを調べないと問題の解決にはつながらない。
まず、政府のやることはどうしてこんなにのろく、生ぬるいのか。政府、つまり各省庁の手は、大きく言って法律と予算に縛られている。戦前の専制政治を繰り返さないため、戦後の政府はその力を大きく制約されている。
感染症でロックダウン(都市封鎖)でもしようものなら、それを正当化する憲法・法律の条項がないために、政府は補償要求の訴訟で負け続けるだろう。
そして現在の法律の限られた範囲で緊急事態を宣言しても、それは飲食店への休業補償金支給などを意味するから、中央と地方の財政をつかさどる財務省と総務省の了承を得なければならない。
だが国の予算は使途がきっちり決まっているので年度の途中には出しようもなく、特別立法で補正予算でも取っておかないと迅速・柔軟な対応はできない。仮に予算が確保されても実際に支出するにはゴマンという資料を作って財務省を説得しなければならない。緊急事態も首相の一存ですぐ宣言、というわけにはいかないのである。