コロナ死者を追悼もしない日本に漂う強烈な不信 私たちはなぶり殺し同然にされるのを恐れている

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哲学者のスラヴォイ・ジジェクは、現在のような事態は、これまでハリウッド映画が描いてきたいずれのディストピアとも異なると主張し、「COVID−19パンデミックに関する真に奇妙な点」は「その〝非終末的な〟性質」であり、「世界の完全な破滅という通常の意味での終末でもなく、ましてや、これまで隠されていた真実の暴露という本来の意味での終末もない」と注意を促した。

そう、我々の世界はバラバラに崩れようとしているが、この崩壊のプロセスはダラダラと続いて終わりが見えないのだ。感染者と死亡者の数字が増えているときにも、メディアはピークがいつ来るかの憶測ばかり。すでに今がピークじゃないかとか、あと一、二週間はどうかとか。皆がパンデミックのピークが来るのを見守り心待ちにしていて、まるでその後は徐々に平常を取り戻せるかのように思っている。が、危機はいつまでも続くのだ。おそらく、たとえCOVID−19のワクチンが開発されたとしても、今後も感染発生や環境変動に脅かされ続ける〝ヴァイラルワールド〟から逃れられないーーということを受け入れる勇気を持つべきだろう。(『パンデミック2 COVID-19と失われた時』岡崎龍監修、中林敦子訳、Pヴァイン)

決定的な終末はやって来ない。「感染爆発による日本の崩壊」もありえない。崩壊するのは個々の現場の医療、個々の現場の家族であり、ずさんな支援体制の下、最前線で職務に当たっている医師や看護師、保健所の職員などが疲弊し、健康リスクの高い人々とその家族が重症化と死の恐怖に怯え、改善できたはずの構造的欠陥の犠牲者としてカウントされていくのである。このような終わりなき悪夢がいつまでも繰り返され、わたしたちは自分の身に降り掛かってから初めて、その悪夢の実相に触れて驚愕することになるのだろう。

全力で異議を唱えなければ危機の片棒を担ぐのと同じ

私たちが本当に恐れているのは、コロナという新興感染症がもたらす災厄ではない。世界的な危機において、欧米諸国に比べて相当恵まれた状況にありながら、信じられないほど無能で、想像を上回るほど役立たずで、国民の命を屁とも思わないように見える国家、恥知らずな為政者の不作為によって、結果的に通常の医療さえ受けられず、なぶり殺し同然になることを心底恐れているのである。

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これに全力で異義を唱えないことは、コロナ禍以後に起こりうる次なる危機においても、まったく同じ目詰まりによって危機が助長され、より熾烈化する〝ヴァイラルワールド〟の片棒を担ぐことに等しい。

わたしたちは進んでバブルの外に出なければならない。

真鍋 厚 評論家、著述家

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まなべ・あつし / Atsushi Manabe

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。 単著に『テロリスト・ワールド』(現代書館)、『不寛容という不安』(彩流社)。(写真撮影:長谷部ナオキチ)

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