元厚生労働省医系技官で医師の木村盛世氏は、既存の病床をICUとして使用できるといった法整備、人工呼吸器を扱える医師やスタッフをかき集めるのに十分な時間があったはずなのに、厚労省も日本医師会もこのような取り組みをいっさいしてこなかったと批判。「その結果として、欧米に比して極めて少ない感染者数と死亡者数でいとも簡単に医療が逼迫してしまった」と述べ、「現在の医療の逼迫は、実際には新型コロナウイルスの登場から1年以上がたったにもかかわらず、重症化対応に関して、なんの努力もしなかった厚労省と日本医師会の責任」と強調した(『新型コロナ、本当のところどれだけ問題なのか』飛鳥新社)。
さらに付け加えれば、いまだに重症化を防ぐための早期診断、早期治療を施す基本的な診療体制すら構築されていない。まさにコロナ戦争において戦時医療体制の構築を怠り、「救える命が救えない事態」を作り出してしまったのは、大戦中と同じく政治決定における重大な過ちに基づくものと言わざるをえない。
権力や権益のほうが重要で国民の生命は二の次に
政治決定において自らの権力の延命や自組織の権益の保全のほうが重要な場合、国民の生命や財産を守ることは二の次となる。コロナ禍でどれだけ犠牲者が生じても関心には上らなくなる。死者や遺族に対する認識にそれが如実に表れている。
ドイツ政府は今年4月、新型コロナウイルス感染症によって亡くなった8万人近い死者を追悼する式典を執り行なった。フランクワルター・シュタインマイヤー大統領は、「あらゆる数字の裏に人の運命があり、人々の存在があるということを、われわれ社会が自覚できていないような印象がある」と述べ、コロナ禍の孤独の中で亡くなった人々に思いをはせるよう訴えた(ドイツ政府、式典でコロナ死者追悼 国民に団結求める/2021年4月19日/AFP)。
同様の死者追悼は、イギリスではロックダウンのちょうど1年後に当たる今年3月に、アメリカでは同2月に実施している。犠牲者数が多いからという見方もできるが、中国では昨年4月に先祖の墓参りの時期に死者追悼を執り行っている。
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