「親友と同じ女性を好きになった人」への処方箋 痛みや葛藤を知る人ほど「優しい大人」になれる

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新約聖書では、姦淫の定義がもっと厳しくなります。イエスはこう言います。

「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」(マタイによる福音書 5.27-28)

自分の性欲のために「相手を道具のように扱う」ことは良くないと言いましたが、行為だけでなく、気持ちの上でもそのようなことをしてはいけないと言うのです。

もともとユダヤ教徒でしたが回心してキリスト教の熱心な伝道者となった、パウロという人がいます。パウロは、古代ギリシアにあったコリントという町のキリスト教徒たちから、質問状をもらいます。そのなかの「結婚について」の質問に、パウロは以下のように返事を書いています。

「そちらから書いてよこしたことについて言えば、男は女に触れない方がよい。しかし、みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい。」(コリントの信徒への手紙I 7.1-2)
「未婚者とやもめに言いますが、皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう。しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身を焦がすよりは、結婚した方がましだからです。」(コリントの信徒への手紙I 7.8-9)

パウロは、生涯独身でした。パウロが独身を通したのは、この世の終わりが近くあり、キリストが再臨して神を信じる人たちは救われるので、結婚のような小さなことにわずらわされるべきではないと考えていたからです。

だから、あなたたちもできることなら独身のほうがいいとしながらも、もし性欲をコントロールできないのなら結婚するほうがましだと言っています。みだらな行いをするくらいなら結婚せよ、というのです。

人間は快楽の世界におぼれやすい存在

いずれにせよパウロは、人間が快楽の世界におぼれやすいものだとわかっていたのでしょう。しかし現代のような情報社会では、さまざまな刺激があちこちにあふれています。イエスの時代とは、比べものにならない量です。気をつけていなければ、欲望が一気に肥大化する危険に、われわれはいつもさらされています。

一人の人格のある人間を、まるで道具やモノのように欲望の対象にして、利用してしまう。とくに資本主義社会のように、モノとカネがすべてのような世の中だと、ますますその傾向は強まります。

イエスやパウロのように生きることはできなくとも、ときどき、彼らの戒めを思い出してみることが大切です。ソドムとゴモラの住人のように、人間は、あっという間に堕落していくものなのですから。

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