シュンペーターの暗い予測!?監視資本主義の未来 若き天才が経営する独創的な企業による脅威
監視資本主義は、より豊かな生活をしたいというわたしたちの欲求を、デジタルの脅威によって満たそうとした。すなわち、無限の情報と、生活の複雑さを和らげ、わたしたちのニーズを満たす無数の方法を約束したのだ。
わたしたちはそれを歓迎し、家の中に、心の中に招き入れた。だがわたしたちがデジタルの王国で見つけようとした、豊かに生きるための資源は、監視資本主義という新たな脅威によって強奪された。その体制の下で、わたしたちのニーズが満たされる瞬間は、わたしたちの生活が、行動データと他者の利益のために強奪される瞬間でもある。
国家権力ではない脅威
社会がこの蓄積の論理を野放しにしている状況で、監視資本主義は現代の資本主義の支配的な形になろうとしている。
どうしてこんなことになったのだろう。本書では、洞察を深め、新たな答えを得るたびに、この問いに立ち返ることになる。これまで数世紀にわたって、わたしたちが想像する脅威は、国家権力という形をとってきた。
しかし、今、直面しているのはまったく違う形の脅威であり、それに対する備えはできていない。その脅威とは若い天才が経営する独創的な名前の新たな企業で、当初、わたしたちが望むものをほぼ無料で提供してくれるように見えた。この新たな体制の最も有害な毒は、今も、この先も、理解や理論化が難しい。
なぜなら、高価でわかりづらい機械操作、秘密の企業活動、美辞麗句による誘導、意図的な文化の乱用によってカモフラージュされているからだ。この道には、「オープン・インターネット」、「インターオペラビリティ」、「コネクティビティ」といった、ポジティブな、あるいは凡庸に思える看板が掲げられているが、それらの真の狙いは、他者を儲けさせるために、わたしたちを市場に誘導することだ。
監視資本主義は、きわめて迅速に定着したため、法律学者やテクノロジーに精通した活動家は別として、人々はそれを理解できなかったし、もちろん承諾もしなかった。
監視資本主義にとってデジタル環境は必須の条件だが、新自由主義のイデオロギーと政策も、監視資本主義が繁栄するための環境を整えた。このイデオロギーと政策は、人々を、監視資本主義の蓄積のロジックの中心へと向かわせるが、人々はそこで残忍なしっぺ返しに遭う。すなわち、情報とつながる代償として、行動データを搾取されるのだ。
そのデータは、監視資本主義にとてつもない成長と利益をもたらす。監視資本主義を阻止し、解体しようとする取り組みはすべて、その操作を支える、新自由主義というより大きなイデオロギーおよびその政策と戦わなければならない。
歴史上の出来事について対照実験はできない。もし別のリーダーがいたら、もし、もっと多くの時間をかけたら、あるいは状況が違ったら、アップルはヘンリー・フォードやアルフレッド・スローンが別の時代にしたように、自らの王冠を飾る宝石に気づき、それを磨き上げ、制度化することができただろうか。それはわからない。だが、その機会が永遠に失われたわけではない。むしろその逆だ。
第3の近代はまだ訪れていない。そこでは、個人からなる社会と連携し、民主的制度に支えられる、合理的で新しいデジタル資本主義の原則として、真の方向転換とその社会契約が制度化されるはずだ。
もっとも、そうした制度化がなされるのは数十年先、いや数百年先だと、シュンペーターが暗い予測をしたことは、このより大きな物語にこの先もつきまとうだろう。
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