単線でも急成長「アーバンパークライン」の潜在力 "しょうゆの町"野田市周辺、通勤路線へ大変貌

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このあたりの事情について、柏駅管区の副管区長で流山おおたかの森駅長でもある久保庭雅彦さんに教えてもらおう。

「昔もこちらのほうで勤務していたことがあるんです。そのときは、見渡す限りの空き地でしたからね。2005年に駅が開業したころもまだまだで、手すりにはオオタカが留まっていたくらいですから(笑)」

このお話、いまの流山おおたかの森駅を訪れるとまったくもって信じられない。ただ、駅の近くの森には実際にオオタカが生息している。そこに敬意を表し、新しく生まれた駅と町が流山おおたかの森となった、というわけだ。

「転勤して戻ってきたらショッピングモールができて、周囲にはウチのマンションもできて、もう一変していましたね。朝の通勤時間帯はたくさんのお客さまがアーバンパークラインからつくばエクスプレスに乗り換える。夕方には逆になりますね」(久保庭さん)

まさに、パークからアーバンへと変貌した流山おおたかの森駅。“野田線の柏駅”から“アーバンパークラインの流山おおたかの森駅”へ、覇権が移ったというべきだろうか。

かつて沿線に“東洋一の競馬場”

柏駅と柏の街については、いまもにぎやかでそこには文句のつけようもないが、ほかに何かないですか……。

「実は、いまは豊四季台団地になっているあたりに、昭和の初めごろに競馬場があったんです。柏競馬場といいまして、周辺もあわせて開発して関東の宝塚にしよう、という意欲があったといいます。1928年に競馬場ができて、1933年には柏競馬場前駅も開業しています」(再び大根田さん)

車窓からかつての柏競馬場前駅付近を見る。痕跡は……ない(撮影:鼠入昌史)

当時の地方競馬では、1周1200m程度の規模が一般的だった(今でも案外そんなものである)。ところが柏競馬場は1周1600m。当時は“東洋一の競馬場”と言われていた。そして周辺にはゴルフ場までオープンし、たくさんの行楽客を集めたという。

競馬場とゴルフ場は戦中に軍需工場になり、戦後復活するもまもなく廃止、今の船橋競馬場に移転してしまう。そうして関東の宝塚計画も幻に終わった。ちなみに、わずかな戦後の復活期には牝馬ながら1937年の日本ダービーを制したヒサトモが走って勝利を挙げたという記録も残っている。

競馬場の跡地はもうすっかり住宅地になっていて痕跡はほとんど見当たらない。柏競馬場前駅も同様だ。大根田さんに言われた場所を意識しながら電車の車窓を眺めてみたが、まああっという間に通り過ぎてしまうし、もちろん面影もない。歴史というのは残酷なものなのだ。

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