「最強の身体」目指す人々が余りに多くなった必然 ストレスフルな社会を生き抜く唯一の拠り所

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日々無意識に行っている習慣を膨大な調査研究の成果などから得た知見を踏まえて見直し、それがこれまでのルーティンに根本的な変化をもたらす起爆剤となり、人生自体をよりよいものにする――以前であれば運やツキといったゲン担ぎ的な心構え、ポジティブシンキングのような精神論に頼っていた、ある種の霊性ともいうべき領域が、脳や神経、筋肉、胃腸などという身体部位のポテンシャルという形態に隠された霊性に取って代わったとみることができるかもしれない。

つまりそれはまだ日の目を見ていない潜在的なエネルギーの土壌であり、未知の可能性を秘めていたものなのである。あたかもシェール層にある石油や天然ガスのように健康や富の源泉を掘り起こすというわけだ。

確かに1つの臓器やバイオリズムを改善するだけで人生そのものが大きく変わるかもしれないのであれば吉報だ。とりわけそれが睡眠障害などといった当事者の悩みの種であった場合はなおさらだろう。最も重要なのは、人生をコントロールしているという確かさが感じられ、気分を上向きにできるという点にある。「身体は究極の価値」であるがゆえに、ささいな不調といったトラブルが、精神衛生上の危機につながりやすくなる。

「良好な身体状態」が拠り所に

高いパフォーマンスを発揮できる健康という高度から失速してしまわないためには、危機管理の観点から不断のメンテナンスが欠かせないというわけであり、そのような身体運用に努めている限りは大惨事が回避できると考える。これによって社会全体を覆っている不確実性の感覚を縮減することができる。まさに「身体の状態が良好である」ことが信頼できる救命ボート、ライフジャケットのような存在として機能するのだ。

私たちはひょっとすると、加速する消費サイクルや関係性の希薄化によって、モノやヒトに依存することが現実的ではないと早々に諦め、「身体という最後の泉」から霊験あらたかなパワーを汲み尽くすことに希望を託しているのかもしれない。そこからえも言われぬ快楽や深い叡智が湧き出して来るのだと……。

まるで古代の錬金術における仙薬作りのような気配すら感じられる、健康資本の価値増殖を図ろうとする試みは、将来に備える資産形成と同じく、リスク管理が個人に重くのしかかる時代の趨勢と不可分であり、もはや誰もがこのような構図の中で多かれ少なかれ身の処し方を決めざるをえないことの表れの1つなのだ。

真鍋 厚 評論家、著述家

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まなべ・あつし / Atsushi Manabe

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。 単著に『テロリスト・ワールド』(現代書館)、『不寛容という不安』(彩流社)。(写真撮影:長谷部ナオキチ)

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