「せっかく〇〇したんだから…」の考えがヤバい訳 人生の停滞を生み出すサンクコストの正体

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たとえば、「会社をやめたいな、でもやっぱりやめるのはもったいないかな」と考えるとき、その「やめない」と判断した理由が、「せっかく入ったのだから」ということだけなら、これはもう「やめてしまったほうがいい」状態なのだと思います。なぜなら、少し極端かもしれませんが、その会社に入社した時点である意味では目標を達成しているからです。それ以上、その会社にい続ける理由がないともいえますよね。

ある会社に入社したという事実が決断の大きな理由になるのなら、それは失うことをおそれるだけの状態であり、ただのサンクコストになっています。

もちろん頑張って希望の会社に入社したわけだから、自分を否定する必要はありません。自分の心のなかの「思い出箱」に、その会社で得た経験を大切にしまって、次の道へ進めばいいのです。

「いいか? 俺が若い頃はな……」がやめられない理由

自分の成功体験を、自分のなかだけの誇らしい思い出として持つのはいいですが、つねに自分をアップデートしていく意識がなければ、自分が誇りとしてきた過去の価値観に、いまの自分が簡単に固定されてしまいます。

そうして少しずつ成長が止まり、人生を豊かにするための大切な時間の使い方ができない状態になっていくのです。

あげくは、「いいか? 俺が若い頃はな……」と、部下や後輩たちに言い出しかねません。あなたのまわりにも、このような成長と思考が停止し、ただ部下の邪魔をするだけの上司はいませんか?

これはとても恐ろしい状態で、本人はただ一生懸命に頑張ってきただけかもしれないのです。与えられた仕事に対し、精一杯応えようとして努力して、いつの間にかその努力の証しである成功体験を、自分の価値観とアイデンティティーの「よすが」にしてしまう。

これこそが、僕がいう人生の「サンクコスト」に縛られている状態です。

僕は、こうした人たちが、過去になんの意味もないことをしていたといっているのではありません。若い頃は頑張っただろうし、それぞれの場所で社会を支えたのだと思います。

しかしいまこの時代に、「自分をもっと成長させていくんだ!」「新しい未来をつくっていくぞ!」という意志がないのなら、みんなの邪魔ばかりしていないで、「お願いだからじっとしてほしいな」と思ってしまうのです。

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