家の前が線路、住民たちの「勝手踏切」が招く危険 江ノ電では4月に人身事故、防ぐ手だてはあるか

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踏切ではない鉄道の軌道敷のため、立ち入ってはいけない場所だ。だが、そこには鉄道側・歩行者側それぞれの立場の主張があり、いわゆる黙認と自己責任のうえで存在している非常にグレーな場所なのである。国土交通省によればこの勝手踏切は、全国で約1万7000カ所も存在する(2021年1月時点)が、小さなものを含めれば、もっと多いのかも知れない。

江ノ電の踏切は、2018年度鉄道統計年報「踏切道数及び軌道重量別軌道延長表」によると、踏切道第1種甲種自動箇所が50カ所の合計50カ所とあるので、公式には警報機と遮断機を有する第1種踏切しか存在しない。一方で、江ノ電の担当者によれば、勝手踏切が89カ所ある。この勝手踏切についてはもちろん正規の踏切としてはカウントされていない。

江ノ電の沿線には、線路を渡らなければ自宅から出る事さえできない住居が多く存在する。それではなぜ、線路を渡らなければならない構造になってしまったのだろうか。その答えは、歴史と時代背景が関係する。

「家の前が線路」という例も

江ノ電は1902年に東海道本線の藤沢から片瀬(現江ノ島駅)まで敷設され、その後8年を経て1910年に小町(現鎌倉駅)まで敷設された軌道である。

軌道とは平たく言えば、路面電車である。現在の江ノ電は鉄道事業者だが、当時は路面電車だった。藤沢方面では江の島に送客していた人力車の車夫から、敷設に対して猛反対され、株主や敷設に協力的な富裕層の庭先に、線路を通し開通させた。

また鎌倉は三方を山で囲まれた小さな街ではあるが、幕府もあった由緒正しき場所で、当時より多くの人口と多くの家屋があったようだ。そのようなところでは既存の道路を併用軌道として、道路に線路を敷いた箇所も多く存在したようである。

腰越付近。家の門は線路の目の前(筆者撮影)

つまり、「線路に面した家は、目の前は道路でたまたま路面電車が併用軌道として運行されている」という条件で家を購入したか、もしくは電車の開業以前から住んでいたのだろう。このような経緯もあり線路に向かって玄関や門を構える民家や、線路を渡らないと自宅にたどり着けない、というところも多々あるわけだ。

勝手踏切とは呼ばれるが、住み始めた頃は玄関の前を路面電車が走る普通の生活道路だったと想像させられる。現に勝手踏切をゴミ回収の作業員も渡っており、行政も通路と判断していることになる。

さらに、住民と話した際、「津波が発生した際の避難経路である」と主張する人もいた。鎌倉市・総合防災課に話を伺ったところ、「4月に起きた事故現場付近は、鎌倉市の避難経路には指定されていない。ほかのルートがある」と、担当者が明確に否定した、少なくとも、地元では事故現場付近の勝手踏切が避難経路だと誤解されている。

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