東大生が解説!考えるのが「下手な人」のムダ時間 「考えるのがうまい人」は何をしているのか

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ある問題に対して答えが浮かんでいないときに考えてみるということ自体は、問題解決のために適切なアプローチをとっているといえるかもしれません。しかし、考えるといっても、「あること」をハッキリと自覚していなければ、まったくその時間はムダになってしまいます。

ここからは「考えている時間」をムダにしないために、いったい何に気をつければよいのか、「考える」に潜むムダについて考えていきたいと思います。

 ムダをなくす技術

「考えている時間」にムダがあると聞いて、「そうだよな」とうなずかれた方はどれくらいいらっしゃるでしょうか? 「考える」という行為は一瞬で答えが出るわけではありません。どんなに頭のよい人がどんなに集まったとしても、問題の解決まで長い時間がかかってしまうことだってざらにあります。

例えば、「3以上の自然数nについて"X^n+Y^n=Z^n" という式を満たすような自然数の組(x, y, z)は存在しない」という問題は17世紀の中頃、フランスの数学者であったピエール・ド・フェルマーの残した書き置きによって、その証明の存在が示唆されました。しかし、その書き方は「この問題について証明できたけど、この紙は余白が狭すぎて証明を書ききれない」というなんとも中途半端な示し方でありました。

そこから何人もの天才がこの問題に挑みましたが、まったく歯が立ちませんでした。この問題がいつしか「フェルマーの最終定理」と呼ばれるようになってから、僕なんかでは比べものにもならないほどに頭のよい知の巨人たちが、何代にもわたって数百年間も頑張って考え続けました。そして、20世紀の終わり頃、アンドリュー・ワイルズという数学者によって、ようやく証明されたのです。

数学は門外漢である僕でさえ、この問題に対する証明は人類の数学史上で大変偉大な一歩であったとわかります。ここで、もしも僕が「考える時間はムダ」だと言い切るのであれば、彼らの頑張りすらも否定することになってしまいます。

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