アンミカ「不妊治療での絶望」の先にあった"幸せ" 42歳から4年間治療し、そして現在へ
生活のすべてが、そこに向いてしまう日々。さらに顕微授精へと進んでいく。
「そこで初めて胎嚢(たいのう)が大きくなるところまでいったんです。“やっとだ、きっと来てくれる!”と思いました。ですがその後、心拍が確認できなかった」
仕事をしながらの不妊治療は精神的にも限界にきていた。仕事のせいで流産したのではという思いと、仕事のおかげで気分転換できて救われている思いがせめぎ合った。
さらに、もうひとつ気がかりだったのは、30代のころから甲状腺の疾患である橋本病の持病があったこと。若くして更年期のような症状があり、早期流産するクセもその影響が少なからずあった。
「持病に加え心労が重なり、体調を崩しがちになりました。そこで不妊治療を一度中断し、心身を休めることにしました。根本的に体質を見直すために、漢方養生指導士の勉強をし、体質改善に努める日々が始まりました」
不妊治療の日々の中で探した“学びの宝”
先の見えない不妊治療の日々の中でも、アンミカはそこに“きっと何かの学びという宝がある”と信じてきた。
「私は幼少期に家が火事になったり、いろいろな不運に見舞われてきました。そんなときに教会の神父様にいただいた“神様は乗り越えられない壁をお与えにならない”という言葉が、人生の礎になっています。この出来事のどこに学びがあるのか探しながら、知恵と工夫を見つけられたら、自分の器を大きくして幸せになれると信じているんです」
“なかなか妊娠できない”焦る気持ちを抑えながら、43歳は勉強と自分を労わる年と決めた。
「漢方養生指導士の勉強をして、自分の体質を知り、体力づくりから見直し、季節に応じた食養生や漢方、鍼、灸などを始めたら、なんとAMHやFSHの数値にいい変化が出だしたんですよ」