第2に、仮に一定の効果があるとしても、一時的な現象にすぎないのではないかという点である。
今年1月に発令された2回目の緊急事態宣言のときに、「十分に感染者を減らし切ってから宣言を解除すべき」との意見が数多く出された。そのほうが、その後の感染抑制に成功するとの主張だ。しかし、世界中で実際に観察されたのは、感染をいったん制圧しても、必ず再流行するという事実だ。
日本では昨年6月ごろに感染者数はゼロ近くにまで減少した。欧州主要国でも、昨年6~7月ごろの感染者数は限りなくゼロに近づいた。ところが、数カ月後にはさらなる猛威で感染が再拡大したのは周知のとおりである。次々と変異ウイルスが現れている現状を踏まえれば、感染は必ず再発するという前提で臨む必要がある。
政策を立案する際には、「有効」と「有用」の違いを認識することが重要だ。活動制限は感染防止に「効く」としても、何度も流行が押し寄せることを前提にしたら、はたして社会にとって「役に立つ」政策とはいえるのだろうか。短期的な感染減少ばかり追い求めた結果、国民に対して長期の苦痛を強いているのが現状だと思われる。ここ数年「SDGs(持続可能な開発目標)」が関心を集めているが、コロナ対策にも持続可能性という視点が必要であろう。
人出が減らないのは国民の合理的な判断
第3に、そもそもこれだけ広範囲の活動制限が必要なのかという点である。
日本のコロナ死亡率は国際的にみても非常に低い。人口100万人当たりの死者数は、4月26日時点で79人。これに対して、米国は1730人、英国は1877人、ドイツは979人と、いずれも日本の10倍以上の規模である。コロナの脅威に直面している国ではあらゆる対策が必要であるが、死亡率が低い日本で活動制限による感染防止策は、どこまで正当化されるのか。
また、他の死亡リスクと比べてもコロナの死亡リスクは決して高いとはいえない。コロナによる死者数は4月26日に1万人を超えたが、インフルエンザでも毎シーズン1万人程度の死亡者が出ている。昨年1年間の総死者数も前年割れとなり、新型コロナによって超過死亡が押し上げられたという事実もない。高齢者の死亡率はインフルエンザより高いと言われているが、逆に、若者の死亡率はインフルエンザと違ってほぼゼロである。少なくとも若者にとっては、日常生活で日々接している他のリスクと何ら変わらない。
こうした事実にもかかわらず、国民に自粛生活を求めるなら、政治リーダーはその説明責任を果たすことが必要だ。人出が増えたというニュースに対して、マスコミや政治家が「気の緩み」や「緊張感が足りない」とコメントするケースがある。しかし、人出が増えたのは、コロナの危険性と自らの生活・事業の継続を天秤にかけた国民の合理的な判断の結果ではないか。
上記3点を勘案すれば、今回の緊急事態宣言も過剰対応だと言わざるをえない。
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