漁民を「国益守る人間の盾」にする中国の危うさ 日本人が誤解している「海上民兵」の正体

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国際法上の軍艦の定義では、船舶の形状や大小、武装の有無は問われない。定められた要件さえ満たされれば、外見上では漁船でも軍艦として見なされる。軍艦である以上、たとえ武力紛争に至って敵対した場合であったとしても相手国は軍艦としての最低限の対応や礼遇を求められる。

逆に、中国民兵であることを示す徽章や制服も着用せず、中国当局からも民兵として肯定されていない限り、相手国にすれば、彼らはただの不法漁船であり、犯罪者である。

インペカブル事件や連環の計を見ていると、中国の漁民たちは国益衝突の最前線にこうした国際社会の最低限のルールを知らないままに槍先や盾として立たされているように見える。ルールを逸脱した蛮勇は、場合によっては戦争犯罪や人道に対する罪として裁かれないとも限らない。

民主主義国家では「自国民は守られるべき対象」

2月に生起したミャンマーにおけるクーデターに対して、山崎統合幕僚長やアメリカ統合参謀本部議長などが共同声明を出した。そこには以下の文言が明記されている。

「およそプロフェッショナルな軍隊は、行動の国際基準に従うべきであり、自らの国民を害するのではなく保護する責任を有する」

民主主義国家の防衛力・軍事力では、自国の国民は守られるべき対象であるというのが共通の価値観である。国益を守るための槍先や盾として軍事力の最前線やさらにその前方に市民を立てることが自然であるとする価値観は、まったくそれとは対極の位置にあると言える。

二度の世界大戦を含むさまざまな戦争の歴史から多くの反省と教訓を得た国際社会は、人命の重さを学び、人道主義を尊重した悲劇を繰り返さないためのルール作りを重ねてきた。中国漁民の中国当局によるこのような扱われ方を、他人事や対岸の火事として傍観するのは危険である。

国益衝突の最前線に、槍先や盾として漁民を用いることは、ややもすれば経済力や人的資源に乏しい国家にとってはコストパフォーマンスに優れた対処策と見えるかもしれない。今、それを看過してしまうと、このような価値観が国際社会の多数派となることを許すことにもつながる。そうなれば悲劇が容易に繰り返されるようになるかもしれない。

※本論で述べている見解は、執筆者個人のものであり、所属する組織を代表するものではない。

山本 勝也 笹川平和財団 主任研究員

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やまもと かつや / Katsuya Yamamoto

元海将補。防衛大学校卒業。中国人民解放軍国防大学、政策研究大学院大学(修士)修了。
海上自衛隊で護衛艦しらゆき艦長、在中国防衛駐在官、統合幕僚監部防衛交流班長、海上自衛隊幹部学校戦略研究室長、アメリカ海軍大学連絡官兼教授、統合幕僚学校第1教官室長、防衛研究所教育部長などを歴任。2023年に退官し現職。海洋安全保障、中国の軍事戦略が専門。

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