千葉県知事選で圧勝、熊谷俊人氏が語った原点 「信長より家康」に関心を持った子ども時代

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2年間政治家として働いて、それなりに千葉市の課題と改革の方向はつかんではいたが、当初は、誰かふさわしい候補者を見つけ出すはずだった。だが、結局、自分が市長選に立候補することに(無所属で民主党の推薦を受け出馬)。結果は、31歳、当時は全国最年少、政令都市としては歴代最年少での市長当選だった。

変えるものと、変えないもの

30代そこそこの市長が誕生したことの意義は何か。もちろん、若さは大いなる魅力だ。だが、それだけではない。熊谷は言う。「若い世代が、未来を見据えた視点で、未来に責任を持って提案する政治を行う」。たとえば、熊谷は30年後でも65歳だ。30年後になっても自分は生きている。そのときになっても、責任の持てる市政運営をしたい。だから、「今、人に石を投げられても、将来のために必要な施策であれば、躊躇なく実行する」。

一方で、熊谷は非常に冷静だった。2009年秋といえば、民主党が最も「過大評価」されていた時期だ。だが、「反自民」「従来のシステムの全否定」といった方向で話が進みがちな中で、熊谷は、地に足の着いた施策を矢継ぎ早に実行した。

まずは、「脱・財政危機宣言」だ。予算の使い方を根本から改めるために、必要不可欠なことだった。事業仕分けも行った。だが、大型開発事業ひとつとっても、進捗率などの問題で、存続したほうが経済合理性にかなう案件もあり、そうした案件については見直しをかけたうえで、ただちにストップとはしなかった。

一方、人事面では、前市長に仕えた副市長を慰留。その職にとどまってもらったのだ。市政をすべて変えようとしているわけではなく、必要なものは残したい。継続性を重要視する視点からも非常に重要な決断だった。市政改革をするにあたっては、熊谷は「人間を替えることが必ずしも重要ではない。むしろ、組織の方向性を変えることが重要だ」と言い切る。「これからの、未来の千葉市に何が必要か、知恵を出して頑張ろうじゃないか」――。つまり、選挙が終われば、ノーサイドというわけだ。

「黒船が来た」「粛清が始まる」。当時の市役所の一部には、そんな雰囲気があったが、しだいにそうした不安は消えていった、という。この5月に熊谷は17万5126票を獲得して再選されたが、低投票率の中でも、前回の得票数を上回った。同じ無所属でも、今回は民主党の推薦を受けなかったことを考えれば、市民の支持は、着実に増えたといえそうだ。

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