千葉県知事選で圧勝、熊谷俊人氏が語った原点 「信長より家康」に関心を持った子ども時代

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「知事による自衛隊派遣要請のタイミングは遅かったのではないか」「同じ被害者なのに、住民に災害援護資金が出る自治体と、そうでない自治体が出るのはなぜか」。大震災後、さまざまな議論が展開された。今まで、政治とは国政であり、テレビや新聞などメディアを通じたものでしかなかったが、実は地方政治とつながっていることを、体で覚えた。熊谷の関心はこのときから、明確に地方政治に向かって行った、という。

だが、政治家志望者が多い早稲田大学政治経済学部に入学したものの、「政治家へ一直線」とはいかなかった。政治サークルに顔を出してはみたものの、政党の実働部隊のような雰囲気が濃厚だったからだ。政治家になった今なら理解できるが、当時はどちらかというと政策や理念に関心があった。

結局、政治サークルには入らず、好きだった歴史にどっぷりつかることになる。折しも時は「ウインテル時代」。「ウィンドウズ95」が出たことで、パソコンやインターネットが急速に身近になった時代だった。ネットの時代到来を確信した熊谷は、ネットでの歴史サイト構築に走る。名付けて「徹底歴史研究同盟」。

当時としては、この分野で最大の人気を博した歴史サイトで、全国の人と議論する自主的なサークルを作り上げた。学校の先生、郷土史研究家、主婦、さらには本格的な研究者までさまざまな人がネット上に集まった。リアルな集まりも年に数度実施した。だが、熊谷本人はというと、そうしたリアルな集まりの幹事をするのではなく、やはり「仕組み作りに没頭していた」。大学2年生のときにはほとんど大学には行かず、ネットでの歴史サークル活動ばかりしていた。

NTTから市議、市長へ。ビッグチャンスをものに

結局、政治家にはならず、NTTコミュニケーションズに就職。ネットに興味のある同世代の若者なら、どちらかというと華やかなコンテンツ系企業に就職する者も少なくなかったはずだが、熊谷は「サービスには栄枯盛衰がどうしてもある。基盤づくりの面で、社会を変える仕事がしたかった」。NTTでは企画部門などに配属され、充実した会社生活を送っていた。

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