その男、凶暴につき ヤバイ日本建設大綱<下> 猪子寿之・チームラボ社長に聞く

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

日仏交流150周年のメディア・アート「花と屍」で、フツー人の見え方=遠近法を捨て、日本伝統の“見え方”を復権させた。

「消失点のない、平面的な大和絵や浮世絵は稚拙な、遅れた描き方とされてきた。だが昔の日本人には、本当にああいう風に見えていたのではないか」。

現代人は、遠近法のように見えると思い込んでいるだけではないのか。

そこで、コンピュータで空間を作り、その空間を論理的に平面化して映像を制作した。それを空間(互い違いに配置した12本のディスプレー)に映し出すと、がぜん、映像が躍動する。

遠近法は消失点=鑑賞点が固定されているため、鑑賞者が空間を移動すると絵が歪む。日本画は消失点がないから、どこから見ても、自然に立体的に見えるのだ。

ヒントは『ジャンプ』であり、ファミコンだった。漫画には消失点がない。ファミコンの「ドラクエ」のマップの描き方は大和絵そっくり。猪子は思う。

「初期のゲームのクリエーターたちは非エリート。エリート教育としての西洋教育・西洋思想の洗礼を受けなかったか、自らパスした。だから、日本の伝統を受け継いだのではないか」。

ちょうど「記憶力が欠落していた」猪子が工業化社会の常識に染まらなかったように。

見え方だけ、ではない。たまにハリウッド映画を見ると気持ちが悪い。この気持ち悪さの源泉は何だろう。「勧善懲悪、二元論的な倫理観。八百万(やおよろず)の神の日本のほうが情報化社会との相性がいいのではないか」。

情報化社会の本質は、二元論ではなく、あいまいさであり、テクノロジーとクリエーティビティの“融合”だ。

「iPhoneってすごいじゃないですか。何がすごいって、インターフェースじゃないですか」。弾く、たたく、つまむ。指一つで自在に情報を取り出せるインターフェース。

関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事