おいでやす小田をひたすら面白がる妻の「金言」 東京進出も、M-1コンビ結成も妻の一言が…
「周りからは『なんで今?』って止められましたね。後輩芸人のアキナも『これから大阪で食えるようになるに決まってるじゃないですか』って言ってくれたけど、僕はそうは思わなかった。
それで実際、東京に出てきて、仕事は増えたんですよ。大阪時代のほうが楽しかったですけど……。大阪では難波周辺にみんな住んでいて、ホームの(よしもと)漫才劇場に仕事がなくても入り浸っている、その感じが楽しかった。劇場に行けば誰か絶対おるみたいな、サークルみたいなノリなんですよ。
それに比べ東京では、仕事は仕事。でも今は、これが普通なんやと思います。逆に大阪時代は、“好きなことをして楽しければいい”という現状に満足していたからダメやったんやと。イチかバチかの決心が足りなかった」
R-1で負けて騒ぐ姿を妻は楽しんでいた
東京へ拠点を移した後もR-1グランプリ連続決勝進出の快進撃は続き、5年連続ファイナリストに。だが、優勝には手が届かない。それを夫婦は楽しんでもいた。
「優勝できないことに関して奥さんは、『もう別に、しなくてもいいやん』って言うてました(笑)。負けて負けて、わんわん言ってたら、それがもうおもしろいじゃないですか。奥さんもそれを見て楽しんでたんやと思います。
悔しがって地団駄踏んでる姿も含めてバラエティーやと思ってるんで、今となってはR-1の結果も正直ありがたい。優勝を狙ってなかったって言ったらウソになりますけど、負けたら負けたでおいしいから、全部含めて2人で楽しんでました」
仕事でスベって帰っても、「おもしろい」「めっちゃわろた」と心から言ってくれる人がいることが、芸人としての自信と支えに。
「僕のことは芸人として、おもしろいと思ってくれているみたいです。それはありがたいし、ネタについても奥さんの意見は参考にしています。2019年のR-1の決勝戦にかけたネタも、実は単独ライブで1回だけやったものの、それ以降ボツにしていたネタでした。
それがR-1の少し前にマヂカルラブリーに呼ばれて“1度死んだネタをよみがえらせる”という『フェニックスライブ』に出たんですが、奥さんに『あのネタやったら?』と言われて。ほんまにやったら、めちゃくちゃウケたんですよ。それがR-1決勝のネタになったんですが、奥さんに言われなければ、ボツのままでしたね。
その年も優勝を逃してしまいましたが、家に帰って感想を聞いたら、『めっちゃわろた!』って言ってました」