日銀、遠のく「2%物価目標」到達への道のり データで振り返る「黒田日銀」8年間の軌跡

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2013年4月の記者会見で身振りをまじえて、新しい金融政策について説明する黒田東彦総裁(撮影:尾形文繁)

元財務省財務官でアジア開発銀行総裁を務めていた黒田東彦氏が、白川方明氏の後を継いで第31代の日本銀行総裁に就任したのは2013年3月20日のことだった。それから約8年が過ぎようとしている。黒田日銀はどんな軌跡をたどってきたのか。

2012年12月26日に第2次安倍晋三内閣が発足。その経済政策である「アベノミクス」の3本の矢のうち、第1の矢である金融政策を黒田氏率いる日銀が担うことになった。

2年で2倍にすることで2%を達成

2%の物価目標を2年で達成するために、マネタリーベース(流通現金と日銀当座預金の合計)を2倍にする――。

2013年4月4日、黒田総裁は新たな金融政策の枠組みとなる「量的・質的金融緩和」(QQE)の導入を発表した。

操作目標を無担保コールレートからマネタリーベースへ変更し、長期国債やETF(株式指数連動型上場投資信託)の保有額も2年でほぼ2倍にした。「戦力の逐次投入はせず、必要な施策をすべて講じた」(黒田氏)政策で、白川総裁時代とは質・量ともに次元の異なる「異次元緩和」となった。

東洋経済プラスの連載「黒田日銀『苦闘』の最終章」では、この記事の続きを無料でお読みいただけます。連載では黒田日銀下の金融政策の課題を取り上げています。
画像をクリックすると連載記事の一覧をご覧いただけます。
中村 稔 東洋経済 編集委員
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