伝説の思想家が説いた「思想を残す」という重み 内村鑑三は100年前の若者に一体何を伝えたか

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200年前のイギリスに、痩せて背が低く、病弱な学者がいました。無名で、役立たずだと思われていて、いつも貧しく、裏通りの粗末な家に住んで、近所の人にも、何をして生活しているのだろうと噂されていました。しかし、彼には、「人間は非常に価値のあるものである。個人は、国家よりも大切である」という大きな思想がありました。

17世紀中頃、ヨーロッパは、国家主義(ナショナリズム)の国ばかりで、イタリアもイギリスもフランスもドイツも、自国の国家という共同体を第1に考えるような風潮が社会全体を支配していました。そのため、この説はまったく受け入れられませんでした。どんなに権力がある人が「個人は国家よりも大切である」と主張しても、実現できないことはわかりきっていたので、この学者は、裏通りに引きこもって、本を書いたのです。それがジョン・ロックの『人間知性論』です。

フランス革命は2800万人の国民が参加

この本はフランス語に訳され、ルソーや、モンテスキューや、ミラボーが読みました。そして、ロックの思想が、フランス全土に行き渡って、ついに1790年フランス革命が起こり、2800万人の国民が革命に参加しました。

これが引き金となって、ヨーロッパ中に大きな変革が起こりました。

19世紀初頭にも、この著書がもとで、ヨーロッパは再び動き、アメリカ合衆国が生まれ、フランスは共和制になり、ハンガリー革命、イタリア独立も起こりました。ジョン・ロックはこのように、ヨーロッパの革命に絶大な影響を及ぼしました。

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めぐりめぐって、日本にもひとりひとりの人間が国家よりも大事であるという思想は広まっています。どこまで実行できるかはわかりませんが、個人の力を強くすることが私たちの願いです。

ロック以前にも、同じような思想を持つ人はいました。しかし、ロックはその思想を『人間知性論』という本にまとめて死にました。本を書いたおかげで、ロックの思想は、今日の私たちにも確実に伝わっています。ロックは身体が弱く、社会的な地位もとても低かったのですが、結果的に今日のヨーロッパを支配する人になったといえるでしょう。思想を遺すのは大事業です。思想を遺すことで、将来に向けた事業を遺したといえるでしょう。

内村 鑑三 思想家

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うちむら かんぞう / Kanzo Uchimura

1861年生まれ、1930年没。思想家。父は高崎藩士。札幌農学校卒業後、農商務省等を経て米国へ留学。帰国後の明治23年(1890)第一高等中学校嘱託教員となる。24年教育勅語奉戴式で拝礼を拒んだ行為が不敬事件として非難され退職。以後著述を中心に活動した。33年『聖書之研究』を創刊し、聖書研究を柱に既存の教派によらない無教会主義を唱える。日露戦争時には非戦論を主張した。主な著作は『代表的日本人』、『余は如何にして基督信徒となりし乎』など。

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