プロ野球「大物メジャー選手」獲得増に期待の訳 コロナをきっかけに外国人選手事情が変わるか

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その後も日本でプレーする外国人選手はたくさんいたが、いずれもセミプロ選手や、マイナーリーガーだった。日米の実力格差は非常に大きかった。

1949年には、名将レフティ・オドール率いるサンフランシスコ・シールズが来日、川上哲治、大下弘らの日本のトップ選手と対戦したが、日本勢はまったく歯が立たず、6戦全敗だった。しかしシールズはメジャーリーグ球団ではなく、その下のAAA、つまりマイナー球団だった。

日本のプロ野球で最初にプレーしたメジャーリーガーは1953年、毎日オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)でプレーしたレオ・カイリーだ。彼はレッドソックスで1年だけ投げた投手だったが、兵役に就いて陸軍兵士として日本に駐留していた。カイリーのうわさを聞きつけた関係者が、アルバイトで日本のプロ野球の試合に出場するオファーを出したのだ。

カイリーは6試合に投げて6勝0敗、防御率1.80を記録。それだけでなく19打数10安打、打率.526を記録。当時の日本プロ野球とMLBは、大人と子どもくらいの実力差があったと言えよう。

アメリカにとって「海の向こうのマイナーリーグ」

高度経済成長期に入り、日本プロ野球にもメジャーリーガーがやってくるようになったが、その多くは盛りを過ぎてMLBを放出されたベテランたちだった。

1977年に巨人の王貞治がハンク・アーロンのMLB記録の755本塁打を抜く756本塁打を打ったときに日本のファンは「大リーグを抜いた」と大騒ぎをしたが、アメリカのファンや関係者は冷静だった。当時の巨人の本拠地、後楽園球場は両翼90m中堅120m、MLBの球場は両翼100m中堅125m、日本のホームランは小サイズの球場で生み出された「チープホームラン」だと言われた。

その後、NPBではランディ・バース、ブーマー・ウェルズと2人の外国人選手が三冠王を獲得したが、バースはMLBでは通算69安打9本塁打、打率.212、ブーマーは29安打0本塁打、打率.228。アメリカにとってNPBは「海の向こうのマイナーリーグ」にすぎなかった。

日米の格差が縮まったことを日米双方が実感したのは、野茂英雄、イチローと日本のトップ選手がMLBで大活躍したのがきっかけだった。2人はともに新人王を獲得し、イチローはMVPにも輝いた。

MLBに日本人選手ブームが起こった。野茂やイチロー同様、NPBのトップ選手であれば、MLBでも通用する。NPBとMLBには「互換性」がある。そういう認識が生まれ、野茂やイチローの背中を追いかけるNPB選手たちをMLBは次々と受け入れた。

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