「オーバー65俳優」一線で活躍続ける彼らの秘密 定年する歳を超えても活躍する人は何が違うか

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日本テレビ「ウチの娘は、彼氏が出来ない!!」(水曜午後10時)に出演中の中村雅俊は70歳。故・松田優作さんに見込まれたことが発端となり、役者デビューした。

自ら劇団を持ったり、映画監督を務めたりした優作さんは、仲間や後輩たちの演技に厳しく意見した。けれど、文学座研究所の1期後輩である中村のことは高く評価。1973年、当時の日本テレビの青春ドラマと刑事ドラマをすべて取り仕切っていた大物プロデューサー・岡田晋吉氏(86)に紹介する。

すると岡田氏も中村を大いに気に入る。中村から漂っていた知性のにおいもプラスになったようだ。当時の中村は慶應大経済学部に在学中。当初は外交官を目指していたくらいなので、成績もよかった。

在学中から「われら青春!」(1974年)の収録に主人公の教師・沖田俊役で参加。以後、「俺たちの勲章」(1975年)、「俺たちの旅」(同)と立て続けに主演する(『勲章』は優作さんとダブル主演)。前代未聞の厚遇だった。

中村は歴史的名優と大物プロデューサーが推した大器だったのだ。

西田敏行は「熱い人」

TBSホームドラマ「俺の家の話」(金曜午後10時)に出演中の西田敏行は73歳。劇団「青年座」の出身だ。早くから演技力への評価は高かったが、世に出たのは遅く、きっかけは同じTBSのホームドラマ「いごこち満点」(1976年)。28歳のときだった。ちょっと面倒な下宿人をコミカルに演じた。

西田敏行(写真:週刊女性PRIME)

福島県郡山市出身。東日本大震災時の福島第1原発事故から1カ月が過ぎた2011年4月には故郷・郡山市のスーパーに入り、県産の野菜や果物をバクバクと食べて安全性をアピール。その後、「美しい福島を汚したのは誰だ! 誰が福島をこんなにしたんだ!」と怒りの声を上げた。

もとから熱い人なのだ。売れっ子になった後、マネージャーたちが止めたのにもかかわらず、1978年から1982年までTBSラジオの深夜放送「パックインミュージック」(毎週火曜日の深夜1時から同3時)のパーソナリティーを務めた。

深夜放送はドラマと比べたらギャラが遥かに安く、一方で睡眠時間が削られた。それでも西田は番組内で「夢だった」「感激している」と繰り返した。若者たちからハガキで悩みが寄せられると、真剣に答えた。

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