東武宇都宮線が開業した直後の1931年12月から1964年6月まで、東武大谷線という路線が西川田駅から延びていた。この路線、宇都宮軌道運輸をルーツとする宇都宮の市内交通、そして宇都宮特産の大谷石輸送などで活躍していた。
その跡はほとんど残っていないが、宇都宮線の線路の西側に並行している道筋はまさしく大谷線の廃線跡。しばらくは宇都宮線と並行し、しばらくするといかにも“鉄道らしい”ゆったりとしたカーブを描きながら北西へ。その後は市街地の中に突入してしまって追跡も難しくなるが、確かにこの地にはかつて鉄路があったことがうかがえる。廃線跡めぐりの中ではかなり難易度の高い部類に入りそうだが、気になる人はぜひ行ってみるといいだろう。
「その大谷石なんですが、南宇都宮駅の駅舎、大谷石造りなんです。開業時から大谷石造りで、老朽化が進んでいたので補修工事をしまして2020年にリニューアルしています。あわせてトイレも立派な大谷石造りで新築しました」(熊倉さん)
大谷石のぜいたくな駅舎
ちなみに、この南宇都宮駅舎は東上線のときわ台駅にそっくり。ときわ台駅は東武鉄道が1930年代に開発した分譲住宅地の玄関口で、東急の田園調布とも並び称される戦前の私鉄による宅地開発の白眉だ。そこに大谷石を使っているあたり、東武鉄道がいかに大谷石を大事にしていたのかがよくわかる。
「で、南宇都宮駅ですが、開業時は野球場前駅といいました。駅のすぐ近くに野球場(宇都宮常設球場)がありまして、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグらが来日して全日本と戦った日米野球の舞台にもなっているんですよ。野球場はずいぶん昔になくなって小学校になってしまいましたが、学校の正門脇に大谷石造りのモニュメントが置かれています」(熊倉さん)
こうして東武宇都宮線の旅をしてみると、単なる支線といった印象はすっかり間違いであったと思えてくる。歴史由緒の壬生、駅名のインパクトと駅前のSLのおもちゃのまち、競馬場から大スタジアムの駅に生まれ変わった西川田、球史に刻まれた大谷石造りの南宇都宮。そして最後に、百貨店のターミナル・東武宇都宮。櫛形の駅をホームから改札を抜けると、目の前には東武百貨店が待ち受ける。そこから先は、宇都宮の中心市街地だ。さて、餃子でも食べて帰るとしますか。
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