芸能人の事務所独立が止まらない「納得の事情」 フリーになってさらに試される「真価」

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

出会った当初は、まるでやる気のない原田が嫌でしかたがなかったという。しかし、

「苦楽をともにして、一緒に辞めると言ってくれるまでの関係になったのかと思うと感慨深かったですね。違う事務所に移籍する話もあったのですが、彼と話し合った結果、個人事務所をつくることにしました。私自身、経営者になるのは初めての経験でしたから、経理の面など戸惑うことが多かったですね」

不祥事の後も個人事務所だからチャレンジできた

今でこそ個人事務所は珍しくないが、当時はまだ珍しい存在。“弱小”と見られがちなだけに苦労はなかったのか?

「やっぱりありましたよ(笑)。仕事を振ってもらえないとかね。でも、個人事務所を選択したくらいですから、われわれは気にしなかった。わからないことだらけだから、できることといったら前向きになることくらい。原田も私も他者をうらやましがらない性格なのがよかったのかな。

だから、不祥事の後も何とかなったんだと思います。あのときは私も原田も、仕事はすべてなくなると思っていました」

『原田龍二 毎日反省 日めくりカレンダー』(書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします )

不倫発覚時、原田は2つの生放送番組のレギュラーを持っていた。記者会見を開かずとも、収録前後にマスコミが押し寄せる。周りに迷惑をかけてしまうため、森さんとともに記者会見を開くことを決断したという。

原田龍二は、隠れて生きるような売り方をしてこなかった。なので堂々と裸一貫、正直に話して臨もうと。そういった意思確認ができるのは、私と原田のマンツーマンの関係性があるから。

全裸になる仕事にしても、原田はまっすぐな性格ですから、絶対にうまくいくとしか感じなかった(笑)。ほかの事務所であれば、上の判断で裸になることは止められていたかもしれない。でも、本人はやる気に満ちていたし、私も面白いと思った。

個人事務所は、さまざまなことにチャレンジできる。だからこそ、人との関係性を大事にする──とても大切なことだと思いますね

石川敏男(いしかわ としお)/1946年生まれ。芸能レポーター。松竹映画宣伝部から女性週刊誌記者を経て、日本テレビで番組のレポーターとなり、以後は芸能界の情報レポーターとして活躍する。
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事