世界の哲学者が考える「テレビ」に問われる役目 TVの鑑賞は哲学ではどう位置付けられているか

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一時期、日本でもテレビは「1億総白痴化」するものとして、批判された時期がありましたが、その原型はここにあるのがわかります。テレビは文化産業に支配され、視聴者を画一化し、「白痴化」する、というのです。しかも、超小型のため映画のような迫力がなく、視聴者は玩具に対するように優越感に浸りながら、「見ざるをえない」という形で奴隷となってしまうのです。

しかし、こうしたテレビ理解は、今でも妥当なのでしょうか。アドルノのテレビ論が書かれてからおよそ50年以上たった頃、ドイツのハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーは「TV・ゼロのメディア――テレビについてのあらゆる歎きはなぜ無効なのか」を書いて、「テレビ=白痴化」という意見を徹底的に批判しました。彼はその論文を、次のように始めています。

テレビを理解し直すことが必要

TVはひとを愚かにする、という素朴なテーゼに、普通のメディア理論のほとんどは帰着する。精密に見える理論であれ、お粗末な感じのものであれ、その点は変わりがない。そしてあの所見はたいてい、怨恨を底に秘めた調子で語られる(エンツェンスベルガー『ドイツはどこへ行く?』)

エンツェンスベルガーによれば、こうしたメディア理論は4つに分類できます。①メディアにはイデオロギーの次元がある、と結論する操作理論。②メディアを受容し消費することは、何よりも倫理的危険をともなう、と見る模倣理論。③視聴者は現実と虚構とを区別する能力を、メディアによって奪われる、と考える新しいシミュレーション理論。

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④メディアはその利用者の批判・識別能力や倫理的・政治的資質を蚕食するだけにとどまらず、彼の知覚能力をも、さらには精神のアイデンティティをさえも蚕食する、と見なす愚昧化理論。こうした4つの理論を挙げた後で、エンツェンスベルガーは「これらの理論はいずれも説得力に欠けている。理論の提起者たちは、証明なしで済ませている」と批判しました。

かなり手厳しいですが、決して的外れの非難ではないでしょう。しかも困ったことに、こうした理論は、今でも素朴に繰り返されることが多いのです。とすれば、テレビをどう理解するかは、あらためて問い直されなくてはなりません。

「白痴化」とか、「現実と虚構の混同」とか、「倫理的に有害」とか、「政治的利用」とか、――こうしたTVの特徴づけは、どこまで根拠があるのでしょうか。もしこれが根拠のないものだとすれば、テレビとはどんなメディアなのでしょうか。この問いは、今でもきちんと答えられるわけではありません。

岡本 裕一朗 玉川大学 名誉教授

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おかもと・ゆういちろう / Yuichiro Okamoto

1954年福岡県生まれ。九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。博士(文学)。九州大学助手、玉川大学文学部教授を経て、2019年より現職。西洋の近現代哲学を専門とするが興味関心は幅広く、哲学とテクノロジーの領域横断的な研究をしている。著書『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)は、21世紀に至る現代の哲学者の思考をまとめあげベストセラーとなった。ほかの著書に『フランス現代思想史』(中公新書)、『12歳からの現代思想』(ちくま新書)、『モノ・サピエンス』(光文社新書)、『ヘーゲルと現代思想の臨界』(ナカニシヤ出版)など多数。

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