オリラジが「デビュー直後」にブレイクした必然 武勇伝ネタは「偶然の産物」ではまったくない
春に入学して、夏がはじまるころになって、ようやくネタ見せの授業がはじまった。
ひと組につき、持ち時間は3分。ぼくらは練習してきたネタをきっちりとやり切った。ミスらしいミスもなかった。
さあ、どうだろう? すこしは感心されたりするだろうか?
いきなり認めてもらえて、目をかけられたりしちゃうかも?
期待して講師の方の言葉を待っていると、
「最初っからずいぶんしっかりしてるな」
と評された。ただ、それがとくに褒め言葉というのでもなさそうだった。手馴れた感じがアドバンテージになるわけでもないのは、口ぶりからわかった。
そのあと、いくつか細かい点を指摘されて、おしまい。
けなされたり、どやされたりしたわけじゃない。滑り出しとしては悪くなかったんだろう。
ただ、どうにも手応えがなかった。
そこでぼくらは気づいた。それっぽく漫才をすれば、それでいいというわけじゃないのだ。それじゃただの自己満足である。
お笑いの世界では、平均点をとることなんて、ほとんど意味がない。観てくれるひとの感情を強く揺さぶってこそ、初めてお笑いと言えるんだ……。
エンターテインメントというものの意味、そして仕組みみたいなものを、教えてもらえた気がした。
お笑いをやるぞ、勝ち抜くんだ!
そう固く決意しているぼくらは、ここで立ち止まっているわけにいかない。
ネタ見せの機会はあったが…
ネタ見せの機会はその後、どんどんやってきた。自主的な稽古と試行錯誤を重ね、毎回エントリーをして、講師と生徒たちの前でネタを披露し続けた。
場数だけは、いくらか踏むことができた。でもぼくらの立っている位置は、最初のネタ見せのときからほとんど変化しなかった。
そこそこの評価は得られるものの、なかなか突き抜けられないという状態。
このままじゃ、なんとなく1年が過ぎてしまう……。それはぼくらがいちばん恐れていたことなのに。
事前に100本のネタを用意していたとはいえ、自信のあるものから披露していったので、「これぞ」というものがなくなってきた。
頼りのあっちゃんも、いつしか行き詰まった雰囲気を醸し出すようになっていた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら