フランス貴族の「気晴らし」何とも実用的だった コロナ禍落ち込んだ時、自分を盛り上げるコツ

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これは何となくわかります。大切なことは何か、思い出させられるのでしょう。また、春先から星空の下を歩いているので、「三日月の傾きが変わった」「月が高くなった」などと、夜空の変化に気づくようです。壮大な宇宙を感じながらてくてく歩くというのも、カオスな現世を冷静に見つめるきっかけになりそうです。

仕事や時間的制約があるため、明るいうちに散歩することができない方、危なくない道を選んでのナイト・ウォークはいかがでしょう。思いがけない発見があるかもしれませんよ。

助けを求めるのは恥ずかしいことではない

フランスで二度目のロックダウンに入ったころから、それまで弱音を吐かなかった義母や義叔母からの電話やメールが増えました。「誰にも会えなくてさびしいわ」「子どもたちは元気?」「ノエルくらいは会いたいわ」といった内容です。家族だけではありません。近隣に住むマダムたちからも、「散歩にいかない? もう1人で歩くのは飽き飽き」と何度も声をかけられました。

フレンチ・マダムというと気位が高い、というイメージがありますが、一方でとても正直な一面もあります。普段から、「あなた、コレして下さる?」「わたくし、アレは嫌なの」と、自分の要望や気持ちを、相手が察してくれるのを待つことなく堂々と伝えます。

日本人の目から見るとわがままに見えることもあるのですが、無理をしない、というのは健全なこと。先述した弱音を吐くということも、あるがままの自分を肯定していないとなかなかできないこと。何か清々しいものを感じました。

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コロナ禍は未曾有の事態といってよいでしょう。自分のモラルを崩さないよう、気をつけながら暮らすことも大切ですが、弱音はどんどん吐くべきではないでしょうか。片意地を張っている場合ではありません。「困った」「さびしい」という気持ちは堪えていると、つらくなる一方です。

助けてほしいときは、素直に声を上げて下さい。恥ずかしいことではないのです。人間誰でも助けが必要なときがあります。そして、頼られたならできるかぎりのことはしてあげましょう。物質的に助けてあげられないとしても、側にいてあげる、一緒に泣いてあげるだけでもよいのです。

混沌とした今こそ試されているのは、人間らしく生きること。言い換えれば、自分のありのままの気持ちを認めてあげること、そして、自分にそうするのと同じくらい、他人に対しても優しくあること。そんな、“真のエレガンス”を保てるかが試されているのだと思うのです。

ドメストル 美紀 文筆家

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Miki de Mestre

東京女子大学、INSEAD(旧欧州経営学院、フォンテーヌブロー校)卒業。航空会社、投資銀行勤務を経て、現在は執筆活動に勤しむ。日本のサラリーマン家庭に生まれ育ったが、ひょんな出会いから18世紀から続くフランスの伯爵家に嫁ぎ、ベルサイユにてフランス人の夫、男子二人、愛猫マエストロと共に暮らしている。主な著書に『どんな日もエレガンス』(大和書房)、『フランス伯爵夫人に学ぶ美しく、上質に暮らす45のルール』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)がある。

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