それは前鉄道時代もそうで、東海道と中山道と北陸道が通るまさしく交通の要衝。「近江を制するものは天下を制す」などと言われたほどだという。確かに歴史をひもとけば、天智天皇は大津に都を置いたし、織田信長は琵琶湖畔の安土に巨大な城を構えた。
その信長と争った浅井長政の小谷城や比叡山延暦寺も近江、すなわち今の滋賀県にある。徳川幕府は彦根城にひこにゃん、もとい譜代筆頭の井伊氏を入れて西国の抑えとした。江戸時代に活躍した近江商人は、近代以降も日本経済発展に大きな影響を与えている。
滋賀県はあらゆる歴史的な事件の舞台になってきた。そしてそうした流れは滋賀県の鉄道ネットワークにも着実に受け継がれているのである。
東西を結ぶ琵琶湖線
まずは電車に乗って滋賀県に入ることにしよう。県外とを結ぶ鉄路は4方向。1つは東海道本線で、正しくは柏原(かしわばら)駅からが滋賀県だが事実上米原駅が入り口といっていい。琵琶湖ゲートウェイは米原駅である。
米原駅には東海道新幹線・東海道本線が通るほか、名古屋―金沢間を結ぶ特急「しらさぎ」が走る北陸本線が北に向けて分かれる。
ただ、JR西日本では東海道本線の米原―京都間と北陸本線の米原―長浜間をひっくるめて琵琶湖線と呼ぶ。その呼び方が定着しているから、この記事でもそう呼ぶことにするが、とにかく米原駅が滋賀県の入り口として第一に挙げられる。
次いで、米原とは琵琶湖の東から南にかけてを半周する琵琶湖線で結ばれている京都口。山科駅と大津駅の間にはやや険しい山があって、そこを通しているのが琵琶湖疏水だ。近代の幕開け、日本近代水道のルーツの1つである。その琵琶湖疏水におおむね並行して琵琶湖線が通って京都と滋賀を連絡し、さらにこの区間には京阪京津線も走っている。
JR琵琶湖線は京都駅・大阪駅方面とのアクセスが優れる。対して、京都市営地下鉄直通の京阪京津線は河原町などの京都市中心部と滋賀県を結ぶ。似たような場所を複数の鉄道が通るケースは少なくないが、このようにうまく役割分担ができているから共存できるのである。
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