クリスマスの代表的菓子「パネットーネ」の正体 イタリアでなぜこんなにも愛されているのか

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「金色のパン」という意味のパンドーロ(写真:筆者提供)

かたや、イタリアクリスマスケーキ全国バージョンのもう一方の雄が「パンドーロ」だ。こちらも発酵生地をふんわりと高く焼き上げたものだが、中には何も入っていない。買ってきて食べる前に粉糖をふりかけるというシンプルタイプだ。ドライフルーツが苦手だから私はパンドーロ派よ、というイタリア人も結構多い。そしてみんな、パンドーロにせよパネットーネにせよ、お気に入りの店やブランドがあったり、毎年毎年、今度はあそこのを買ってみよう、などといろいろ楽しみにしている。コロナでステイホームな今年は、手作りに挑戦している人もいるらしい。私の知人でもすでに2人がパンドーロを作ったと写真を送ってきた。

パネットーネ誕生の由来は?

パネットーネは、ミラノを統治していたスフォルツァ家で生まれたといわれている。スフォルツァ家はピンとこなくても、ミラノのスフォルツェスコ城の主人、元々は傭兵隊長としてヴィスコンティ家に仕え、後にミラノ公爵になったファミリーといえば、少しイメージがしやすいだろうか?

ある年のクリスマス前夜、スフォルツァ家の厨房で、料理長がクリスマス晩餐の準備をしていた。ところがこの料理長、準備していたケーキを焦がしてしまう。さあ困った。と、そのピンチを救ったのが、トニーという見習いコックの青年だった。

おいしいパネットーネはこんなふうに生地が高く高く、上に膨らんでいる(筆者撮影)

自分の家でクリスマスに食べるため取っておいたパン用の母種に、急遽、粉や卵、砂糖、干しぶどうなどを加え、ふっくらと発酵させておいしいデザートパンを焼き上げたのだ。ダ・ヴィンチを自分の宮廷に招いたことでも知られる時の当主、ルドヴィーコ・スフォルツァが、あまりのおいしさに「トニーのパン」と呼び、賞賛を与えた。トニーのパン、ミラノ地方の言葉で「パン・デ・トニー」が、時を経てパネットーネとなった。

これが、いくつもあるパネットーネ誕生にまつわる伝説でいちばん有名なものだ。実際には1300年代の終わり頃まで、ミラノ地方ではクリスマスの時期にだけ小麦粉のパンを焼くことが許されていたという記録があって、それがそもそものパネットーネの始まりといわれている。スフォルツァ家でも、12月24日の夜には小麦粉で作ったパンを暖炉の前で家長が切り分け、家族や使用人たちに配るというのが習わしだったそうだ。

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