強制収用へ一転、静岡知事が翻弄「沼津駅高架」 貨物駅不要論から10年、リニア問題と似た構図
知事は2010年1月23日、高架事業の賛成派、反対派が一堂に会した集会に出席、その席で突然、「貨物駅不要論」を提唱した。JRの貨物取扱量のうち沼津分は0.4%弱にすぎないと指摘して、「ゼロに等しい数字。貨物駅を移す必要があるのか」と述べ、沼津に貨物駅は不要であり、原地区の土地買収を伴わない事業推進を打ち出した。反対派は、貨物駅を移転せず廃止してしまい、原地区の土地買収は不要となる知事提案に大きな期待を抱いた。計画策定から約20年たった時点で、知事が事業の枠組みを根底から変えてしまったのだ。
いちばん驚き、混乱したのは、寝耳に水の沼津市だった。鉄道高架事業は貨物駅の移転抜きでは前進しないため、県と市は共同でJR貨物に沼津駅から移転してほしいと要請、了解も得ていた。知事の「貨物駅不要論」で、移転ではなく貨物ターミナルの立ち退きのみを迫られたJR貨物は「輸送拠点として貨物駅の必要性は大きい」など不快感を示した。
有識者会議の結論は「移転が妥当」
当時の栗原裕康市長は「知事の貨物駅不要の提案をまったく知らされていなかった」として、すぐに、県庁を訪ねたが、川勝知事は栗原市長にあらためて「貨物駅不要論」を説き、話はかみ合わなかった。沼津市は買収済みの新貨物ターミナル用地をどうするのか、計画変更の事業の遅れなどを懸念したが、事業主体は県であり、知事提案に乗るしかなかった。栗原市長は知事に、JR貨物と責任ある交渉を任せるとして、原地区の収用手続きの調査を撤回して、予算措置を取り消した。
川勝知事は「貨物駅不要論」を唱えたが、その後、貨物駅の新たな移転先として、富士市内の別の駅に統合できるのか、国土交通省に調査を求めた。JR貨物は、当初から富士市や東静岡地区では、面積や距離の問題で困難であると伝えている。
2010年7月、県は沼津駅高架化を検証する有識者会議(座長・森地茂政策研究大学院大学教授)を設置した。約1年間かけて議論を行い、2011年6月、高架事業の実施には「沼津貨物駅移転が不可欠」として従来の計画通り、原地区への移転が「妥当」とした結論を知事に報告した。県担当課は「報告書の内容に沿って、原地区への移転を前提に住民との協議を進める」としたが、知事は「貨物駅不要論」をあきらめたわけではなかった。
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