豪雨で被災「肥薩線」はいまどうなっているのか 橋も線路も流され、再開は長期戦の様相に

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通行止めの看板から球磨川左岸の国道219号に入ると、すぐに谷に入り八代市街は尽きる。肥薩線は右岸なので西部大橋を渡ると、八代から1つ目の段駅がある。通過してきた下流側に九州新幹線の橋梁を望み、青空を映す球磨川は穏やかであった。単線1面の無人駅はレールが錆びていたが、それ以外の変化はないようだ。

しかし、県道が細まった先は、屈曲する球磨川に支流が注ぐ橋で行く手を阻まれた。上路ガーダーの鉄橋に千切れたブルーシートや草木が絡みつき、傍らの民家は破壊されていた。本流を渡る小振りな橋は、途中で落ちていた。

国道に戻って左岸をたどる。いくつもの箇所で川側の車線が崩壊し、応急的な鉄板敷きや交互通行になっている。対岸の県道もガードレールが崩れ落ち、肥薩線の線路は路盤を失い、グニャリと曲がった軌道が大きく傾いていた。十数メートルといった単位ではなく、おそらく数百メートルはある。この水害は、線路の一部がピンポイントで崩れたのではなく延々と続くのか、という悪い予感は当たっていた。

交通確保のため線路上を通した砂利道

坂本駅に渡る橋も消えていたので、以後、数駅の様子は見ぬまま進むと、やがて太陽に煌めく川の中に球磨川第一橋梁(鎌瀬付近)が落ちていた。

八代から2つ目の坂本駅。球磨川は河口から16kmほどだがすでに峡谷を成している。木造駅舎は残ったものの線路はバラストが洗われた様子(写真:久保田 敦)

遺産価値が高く「100年レイル」と謳った肥薩線PRの主役とも言えたトランケート式ピントラス桁2連のうちの1つが早瀬側に、続く上路ガーダーが浅瀬側の河原にひしゃげて横たわっている。国道の鎌瀬橋も流失し、細い県道が迂回路となる。

これより線路側をたどる。線路がトンネルを抜けた先で舗装道路は途切れ、砂利道が線路上にかぶさった。鉄道復旧の見通しはたたず崩れた道路を唯一の交通手段として確保するため道路に転用したのだ。「ななつ星」の運行を機に数本に1本ずつをPC枕木にして強化した線路が、何十メートルかの区間、路面の下に消える。

その先も長く、宙吊りや堆積した土砂の下となった線路が続き、瓦礫の山となった瀬戸石駅にたどり着く。待合室もホームも民家もない。行き違い駅の2本の線路が、破壊されたコンクリート上をのたうち続いている。誘導員に導かれて瀬戸石ダムの堰堤を渡り、再び線路を対岸として数駅進む。駅名標が半分に割れて落下した吉尾駅が見えた。

白石駅を過ぎ、大野大橋で線路側に戻り、県道を行く。前後3本の道路橋は流失した。観光地の球泉洞駅は、単線ホームに設けた上家が惨状ながら姿を留めていたが、ホームは縁石を壁状に残すだけだった。

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