君は”屁の道”を知っているか? 『俺が怪物だ』に収められた豪ケツの魅力

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小中校生時代には迫害の憂き目にあった平さんだが、広島高校に進む頃には、 

授業中にブーブーやろうと、誰ひとり文句をいわんばかりか、 「あいつは大したもんじゃ」 と先輩にはかわいがられるし、友人はすぐ出来る。先生たちもなにかと目をかけてくれるという都合のいいことばかりだったそうだ。

というのだから、立ち位置も変われば変わるものである。

さて、高校在学中、いよいよ平さんが日本の頂点に立つべき極めて大きなステップがあった。「屁道七段のモサ」田村晩花氏との出会いである。高校の友人が田村氏の長男であった関係で、平さんが田村家を訪れると初対面の晩花氏、いきなり平さんに

「平君、ちょっとやってみたまえ!」 初めて顔を合わしたばかりでイキナリこういわれて、さしもの豪ケツもいささかたじろいだが、気をとりなおし、タンデンに力を入れて高らかに放った。
コンディションもよかったらしく、自分も惚々する美事な音色だったそうだ。つづいて六発!いささかも屁力は落ちず六発も放ちつづけたそうである。
「これはお美事!せがれから話にはきいていたが、この腕前は一級です」 とおほめの言葉と『右者多年修練せる結果、窒息性瓦斯の多発操作に熟達せり。依って当流三段を免許す』 という免状を授与された。
平さんは、自分のオナラが天下に認められたのが、なんとも嬉しく、祝賀の宴では、また高らかに豪砲の連発をみせたのだった。 これが昭和二十一年三月三日。

晩花流屁道を承継

晩花さん、何も伝授してないじゃん、と思う間もなく、晩花七段は原爆症で逝去し、若き平さんは晩花流屁道を継ぐに至ったのである。

広島高校から東大経済学部に進み、腕前ならぬ「尻前」を益々磨いた平さん、遂に屁独特のにおいを完全に消す術を完全に習得した。晩花流としては、音がいくら大きくても、においを伴うようではまだまだ。「”無色、無味、無嗅、人畜無害”をもって最高の屁とする」んだそうで、このうち「味」をどうテイスティングするのか、興味あるところだが、さらに名人の境地に進むと無臭を超越し「香りとでもいうべき、楽しい匂いを出せるようになる」というのだから恐ろしい。それにしても何なんだ「楽しい匂い」って。

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