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いついかなる時でも、音の大小、音色、音程など自由自在の屁を放つことが出来る日本屈指の屁マスター平(たいら)さん。広島出身だが、この本が刊行された昭和40年当時は角丸証券大阪支店次長という要職を担いつつも趣味の屁道に余念がない方である。
しかしその平さんとて、人生の初めから屁道に通じていた訳ではなかった。尻の穴に血が滲むような努力こそが、彼をして屁マスターの高みにまで導いたのである。
平さんが屁道に志したのは、小学生の頃だった。すでに三十年に近い。”修業”なくしては今日の”名人業”はなかったわけだ。
この道へ入った動機というのがふるっている。 平さんの父親が、これまた一流の屁こきだった。
「おう、あそこに鳥が--」 と鉄砲をかまえるふりをして、”ズドン”と豪砲一発カマしては得意になっていた。
これが、子供心になんともうらやましくてならない。「ぼくも、おやじのようなスゴいのを自由にならしてみたい」 と考えるようになった。
好きこそ物の上手なれ(!) 小学四、五年になると、かなり大物をブッ放せるようになった。
しかし、音量のみを追求した平さんの屁は、「屁品の悪い、悪臭の伴うものばかり」。しかも「授業中であろうと、厳粛な式の最中であろうと、あたりかまわない”乱発”ですっかり先生に睨まれた」というのだからいただけない。それどころか
友人などに、「一発やってみろ」などといわれると、多少ムリでも、ウーンと気張り、そのために失敗することもしばしば、お母さんにもお目玉の食い放題だった。
とあるところを見ると、「実」のないところが魅力の屁道であるにもかかわらず、「失敗」によって、文字に表わすのがためらわれるような悲哀も度々味わったようだ。
激しい訓練の末に
このような苦難を味わいつつも、人に迷惑をかけぬようにと、もっぱら放課後の山や川べりでの特訓を重ねていた。そんなさなか、
ある日、平少年が一発ぶっ放すと、すさまじいがけくずれ、町の人々は、 「彼の”屁”のせいでとんだ騒ぎだ」といってワイワイいったそうだ。
とあるのだから、訓練の烈しさがうかがえるではないか。平さんの凄いところは、人間が抱くどんな感情をも放屁に還元してしまおうとするところ。別のクラスに平さんが想いを寄せる美少女がいたそうだが、
「あの娘に、なんとか自分の存在を知ってもらいたい」 。その手段にはオナラしか思いつかなかった。学校の階段を彼女が降りてきた。”今だ!”彼はすれちがいざま水爆クラスのをバーンと放った。
「これで彼女は、僕のことを一生忘れんだろうな」 。これで満足だった。なんだか自分の恋が完全に達したようなハレバレとした気持であったそうだ。
というのだから、既に高校進学前の段階で彼の屁道はロマンの香気漂うものであったとすらいえる。
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