「金髪、革ジャン」異端のIT起業家が描く野望 ベトナム人エンジニア1200人率いて急成長
ベトナムではすでに多くのエンジニアがシステム開発に携わっていたが、大半は外国企業が手がける基幹システムの開発・運用の受託だった。ベトナムは人件費が安く、外国企業の目的は開発コストの削減。エンジニアに求められるのは納期を守り、顧客の仕様を満たすシステムをミスなく開発できるスキルだった。
しかし小林たちが目指したのは、発注元が企画したサービスを受託し、ともに売り上げ拡大を目指すパートナーとしてのエンジニア集団だった。顧客から要望があれば、開発後もアップデートを繰り返していく。臨機応変に対応できるエンジニアは、当時のベトナムにはほとんどいなかった。
ベトナム人との意思疎通に四苦八苦
「スタートアップ企業は、完成度80点のサービスでもスピード優先で開始することもあれば、徹底的にクオリティにこだわる開発フェーズもある。エンジニアには、そうした開発スタイルに肌感覚で慣れてほしいが、中途採用だと染み付いた価値観を変えるのが難しい。だから若手や新卒を採用して育成することにした」
ベトナム人社員たちとのコミュニケーションは、最初の頃は英語だった。しかし互いに不自由を感じるようになり、通訳を介するスタイルに落ち着いた。現在、社内には日本語が堪能なベトナム人社員が100人以上、在籍しているという。
「言語や文化の違いからくるトラブルよりは、開発現場で起きるトラブルが中心。そこは日本と変わらない」と小林が言い切れるのは、組織づくりに心を砕いてきたからだろう。
ベトナムでの生活に終止符が打たれたのは2017年12月、株式上場を見据えて現在のサンアスタリスクへと社名と組織を変更したことがきっかけだった。それまでは海外市場での上場を見据えてきたが、英語や上場に関する知識はなかった。
日本ではIT人材不足やデジタル化の遅れが深刻になっていた。「僕らは新規事業を手掛けて楽しいが、日本の課題を放置したままでいいのか。僕らのアセットは確実に社会課題の活用に使えるとわかっていた」(小林)こともあり、当時シンガポールにあった本社機能を日本に移し、日本での株式上場に向けて動き出した。
日本での株式上場を目指すにあたり、グループ会社の中で最大規模に育ったベトナム法人を率いた小林が「会社のアイコンとして表に出せる人」として代表取締役に就任することになった。
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